『日本共産党の研究』

いざ探すとなると、なかなか見つからない本だったりするのだが、無事ゲットできた。3冊で525円。けっこう安い。早速、半分ぐらい読んだが、立花隆はやはり説明するのがうまい。
結局、日本共産党の政党的・組織的病理は、レーニンボルシェビキズムのドグマ性を受け入れたところに端を発する。たしかに、レーニンの当時の世界情勢においては、世界各地で革命闘争が勃発するとの想定のもとに、「民主集権制」を組織原理とするエリート主義的革命イデオロギーの統制が有効でありえた。私はエリート主義者なので、レーニンの革命路線には十分に現実性があったと思う。しかし、そうした急進的な政治状況ではなく、日常の政党機構として「民主集権制」が受容される場合、これは最悪の官僚機構となってしまう。「民主集権制」では、指導層の政策を各細胞が無条件で実施することが求められるが、それは党内の批判を一切受けつけないものだったからである。いうまでもなく、コミンテルンは日本の正確な情報を掌握していたわけではなく、またその政策内容も、ソビエト内での権力闘争によって大きく変動する程度のものでしかなかった。コミンテルンなど、信用するほうが馬鹿であったといってよい。だが日本共産党は、ヨーロッパ諸国のように共産党活動の蓄積がなく、またコミンテルンからの援助を主な資金源としていた事情があったために、そのボルシェビキズムを全面的に受容する方向へと向かうことになった。多くの転向者が生まれたのはそこにやはり無理があったからだが、コミンテルンを教条的に信奉し、またそれを楯に強力な権力組織を作りあげるという組織的病理(さらには、そのせいで大衆的なひろがりをもてないという病理)は、立花が本書を執筆当時の日本共産党にも確実に存在していたわけである。なお、中国共産党の場合には、国民党から敗走した長征のプロセスにおいてコミンテルン指令の相対性が自覚されたために、国情にもとづく共産主義イデオロギーの自己解釈が可能になったと考えられる。他方、日本の場合、コミンテルン絶対視とそれによる理論偏重・急進主義のため、結局スパイMをはじめとする切り崩し工作にやすやすと乗せられることになったように感じられる。

日本共産党の研究(一) (講談社文庫)

日本共産党の研究(一) (講談社文庫)