『近代政治原理成立史序説』……

も、今日買った本のうちの一冊なのですが、けっこう難しいけれど、なかなか面白い。ランダムに引用してみると、

……すなわちRousseauが「きわめて形而上学的」と断定したのは、従来の自然法学者が、現存の「文明社会」を自然状態に投影し、そこから「人間の自然」を引き出して、逆に「文明社会」とそこにおける不平等を弁証しようとした独断的方法にほかならず、ここでRousseauは、いみじくも、自然法学における自然状態が、たんに社会状態の欠如態として消極的に規定せられるにすぎず、社会理論構成のために、まったく便宜的につくり上げられていることを、完全に看破していた。さればこそRousseauは、きびしく「分析的」な方法を斥けて、「発生的」な方法を求め、真の人間の自然状態と、それよりの人間の疎外の全過程とを歴史的、実証的に再構成して、自然法学の前提を覆そうとしたのである。(176)

の整理に「文明社会における人間疎外の認識→発生論的社会理論→一般意思の主張」の流れの意味を確認したり、あるいはHobbesの独自性が、

今、中世以来ゲルマン世界における自然法の歩みを回顧するならば、ほぼ次のような概観を得ることができよう。まず中世初頭におけるノミナリズムとリアリズム、クリスト教的神政理念とアリストテレス主義との闘争は、ゲルマン世界の身分制的秩序の安定を契機として、一旦トマスにおける後者に傾斜した調和、統一にもたらされる。けれどもこのような身分制的秩序の「自然』性の喪失とともに、異教的な国家理性のシニシズムが現れる一方、宗教改革を契機とする中世普遍世界の崩壊は、分立するすべての教会における宗教的自然法に、神意の意味におけるノミナリズムの色を濃くし、しかもそこで宗教問題が直接政治問題となったために、ここに国家主権のノミナリズムが現れざるをえなかった。こうして、すでに発生したコンフェッショナリズムの惨禍を普遍的に解決しようと欲するならば、自然法そのものを宗教から解放することによって、そのリアリズム的側面を回復するほかない。したがって、世俗的自然法が、ヒューマニズムの影響下にその成立を見たのである。しかも、その世俗的自然法を支えるべき人間本性の観念そのものは、自明なものとしては受け入れられがたく、さらに社会過程はもはや身分制的固定性を破って仮借なく流動化するために、ここに自然法はその「自然」性をますます推理の手続に求めざるをえない。……(33)

という歴史的背景に求められることなどを知ったりした。
なお序文では、

……近代政治原理の特質は、およそ社会生活において最も神秘に映りやすい政治という領域についても、これを人間自らの営為として徹底的に自覚化した点にあった。しかも総じて人間の営為としての文化が巨大な既成事実として人間に対立するとき、この自覚はいかに失われやすいものであり、政治の神秘化はいかに容易に人間をさらい行くことであろう。著者はすでにすぐる大戦において遺憾なくこの悲劇に立会って来た。……

とあって、この本が「元来すぐる大戦の間に非命に斃れた学友たちに手向ける志を以て」書かれたことが述べられている。
参考までに、http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20051225http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20051113