高坂正顕

高坂正顕『明治思想史』(1968)。
この著作は、思想史業界ではどう評価されているのだろうか。文章は絶品、論旨は明快、扱われている素材は魅力的だし、その配列の妙にも感心してしまう。要するに、名著だと思うのだが、あまりの読みやすさにかえって、学問的評価がどうなっているのかが気になってしまう。
明六社終結した啓蒙的知識人たちの位置関係の整理など、大変「合点がいった」のであるが(横井正楠)、とりあえず、本書が提示している明治の時代的変遷を整理しておこう。

……従ってこう言われてよい。明治十年から二十年にかけての十年間は、確かに上に規定した意味での自由民権の時代であった。しかしその反面、基督教が徐々に根を下ろしつつある時代、また進化論が説かれつつあった時代であった、と。つまり明六社の人々が代表した文明開化期は、政治・学問・道徳等々がいずれも西洋文明の名で綜合されていた漠然たる綜合の時代であったのに反し、この自由民権の時代はそれがばらばらに分裂する分裂の時代であり、政治的関心が主流をなしながら、宗教的関心が傍流をなす。(161−162)

こうした自覚が深まるのは、明治二十年代を待たねばならず、自由民権時代は思想史的に重要性をもたない時代だったと高坂はまとめている。では、明治二十年代はどうかというと――

明治二十年前後に流行した言葉の一つに、天保の老人明治の青年というのがある。これはこの時期の性格を極めて簡潔にまた鮮明に表現しているものとして興味なきを得ないのであるが、この言葉はちょうどこの頃、明治文化の支持者、すなわちいわゆるKulturtragerに世代の交替が行なわれつつあるのを示しているからである。明治維新を行なった青年達、すなわち天保の頃に生まれ、維新の頃には青年であった人々は、明治20年頃にはもはや朝野の貴顕として五十を過ぎる老人である。ところが今、明治二十年代の歴史の上に新たな創造者として登場しようとする人々は、ちょうど維新の際に生まれ、明治の新しい空気の中に成長し、十歳余りの少年として西郷戦争の話に胸をおどらせた人々である。……天保の老人達によって指導されてきた政治革命は漸くその枠が完成しようとする。しかしそこには彼らによってなされなかった――そしてもはや彼らにそれらを期待することもできない、――別個な新しい革命の要求がある。それを彼らの若々しい血が、何らかの形で彼らに感ぜさせた。……(226−227)

高坂は、明治二十年代初頭に「人間革命の運動」という精神的飛躍が見られると論じ、坪内逍遥幸田露伴中江兆民徳富蘇峰ら、陸カツ南、三宅雪嶺岡倉天心などを取りあげている。
一方、明治三十年代を論じるにあたって、高坂は、島崎藤村の「いつの間にか自分まで恐ろしく年寄臭い青年になつてゐることに気付いた」という言葉を取りあげつつ、次のように述べている(325)。

……明治二十年代の初めは、精神革命の時代であり、明治の第二の革命であり、新日本という標語が多くの人々にとって魅力のあった時代であった。政治的熱狂と破壊の代わりにに、新しい日本の建設が特に精神の面で求められた時であった。しかし破壊ではなく建設ということになれば、古き日本の伝統は、その素材として、またその拠り所として、何としても無視されるということは許されない。(326)

「してみればその結果として、彼らがいつの間にか知らず識らず年寄り臭くなり、老成型になったのも当然ではないか」というわけだ(326)。なお高坂は、その後の自然主義文学に「明治の疲労」を見ている。そこでの文章は大変味わい深いが、ここでは引用しない。
もうひとつ、雑学ネタ。

しかしさらに無視することを許さない問題は、社会の問題である。社会の問題は既に明瞭に二十年代の初めから、例えば『国民之友』の人々によって取り上げられていた。しかもかなり進んだ形で取り上げられていた。しかしその際はなお観念的にであり、対岸的にであり、先進ヨーロッパ諸国での注目すべき現象としてであった。しかし日清戦争は植民地の獲得、賠償金の獲得、軍備拡張等と並行する資本主義体制の確立と共に、社会問題をば漸く自らの現実問題として取り上げしめた。社会と階級が眼前の問題とならざるを得ないのはこのためである。しかし注意すべきことは、当時の社会問題に対する対処の仕方は、基督教的人道主義的のもの、浪漫主義的なもの及びいわゆる社会主義的なものの合流した形の漠然たる混合形式においてであったということである。日露戦争に際しての平和運動もまた同様であり、それらは日露戦争を経過する内にそれぞれに分裂するのである。(330−331)

他にも、近代統計を始めた人の話や、狩野芳崖・橋本雅邦のエピソード、福沢の独特な位置付け方とか、面白いネタはいっぱいある(もしかして、こういうのを面白いと感じるのは、まだまだ自分が勉強不足だということか?)。

明治思想史 (京都哲学撰書)

明治思想史 (京都哲学撰書)