カントローヴィチ

意に添わないtaskにかかずらっていたら、だんだんイライラしてきたので、カテキョウ前に、神保町まで緊急避難することにした。まずは、1969年〔増補版〕(1954年初版)の研究資料をゲット。次に、傍らをふと見ると『北一輝著作集Ⅰ・Ⅱ』があるではないか。いくらかと思って確認すると、各1400円。これは、安い。しかし、はたして、買うべきか?10分くらい迷ったが、結局買わないことにした。うーん、買ってもよかったかなあ?たとえば、こういうテンション。

個人主義の大潮流は羅馬法王の絶対無限権を排除し思想の自由を呼号することによりて流れ始めたり。……社会の全分子たる男女に平等の物質的保護と自由の精神的開発が拡張するの時、――若き男女の握れる手と手は羅馬法王の絶対無限権を有すべし。是れ個人の絶対的自由の世に非らずや。(『国体論及び純正社会主義』)(松本1996:28)

著作集は全三巻だが、たしか第1巻が『国体論及び純正社会主義』で、第2巻が『支那革命外史』・『日本改造法案大綱』だったはず。で、神島二郎が解説で、たかが23歳の時に書かれたものなのだから文章のノリに惑わされないように、などと釘を差していたりする。活版印刷で紙がぼこぼこしているのも何だか良い感じ。買えばよかったかな。やっぱり。
それにしても、みすず書房って、あんまり文庫にならないよな。文庫にしてくれりゃいいのに。
などと思いつつ、カテキョウからの帰り道に亀戸の古本屋に寄ったら、カントローヴィチ『王の二つの身体』(上・下)(ちくま学芸文庫)を発見。半額で1600円。一瞬どうしようか考えたが、映画を一本観たと思って購入。家に帰る途中、映画を観るくらいの時間でざっくり読んだ。面白い。しかし、けっこう難しい。
王権のイメージは二重であって(自然的身体と政治的身体)、これが中世の神学的思考に起源するものだというのが本書の内容。解説から引いておく。

本書におけるカントーロヴィチの問題関心は、十世紀から十六世紀にかけての王権をめぐる比喩的な言説の構造的展開を再現させることであった。王をキリストと類比的に捉える十世紀頃の王権の表象は、キリストの人性と神性という二重性を王へと転移させて王の双生的な性格を強調した。この後十二世紀になるとキリスト論に代わり法学的思考様式が王権の表象に浸透し、王はキリストではなく法ないし正義の体現者として捉えられ、正義それ自体であると同時に正義の下僕、生ける法であると同時に方に拘束された存在者とされるに至る。しかし、王が二つの本性を有することは、王が二つの身体を有することを意味しない。次に登場するのが有機体論的な団体観念に依拠した王権の表象であり、これは教会論上の神秘体概念を世俗の領域へと転移させることにより、王を国家という神秘体の頭として捉える。しかし、王が団体の最も重要な部分たる頭であることは、王が団体そのものであることを意味しないし、単なる有機体論的な国家観念からは国王二体論は導出されえない。有機体論が国王二体論へと移行するためには、時間観念の導入が論理的に要請されるのである。かくして、団体を構成するメンバーの交代にもかかわらず団体自体は恒久的に連続するという観念が形成されるが、王を頭とする団体の永遠性は、王自身が個体として自然的身体であると同時に団体として政治的身体であるという国王二体論を未だ含意しない。このためには王自身が永遠なる団体と見なされねばならず、王たる一個人が団体を自らに引き受けねばならない。それゆえ、個々の王が団体とされるためには、団体というものを空間的にではなく時間的に捉える必要があり、かくして過去から未来へと一列に続く王の集合が団体として観念されることになり、現に存在する王は単独で一つの恒久的な団体を具現する存在者、不死鳥のごとき単独法人として観念されるに至る。(558−559)

またぞろ誰も読まない引用をしてしまったが、何となく想像される通り、記述が因果的にではなく、表象上の変化の指摘であるため、やや取っつきづらい。
だが、第2章でシェイクスピア『リチャード2世』、第9章ではダンテが検討されており、そういう馴染みやすいところは非常に楽しく読める。たとえば、シェイクスピアのこんな引用。

われを忘れるところであった。おれは王ではないか、
目を覚ませ、臆病な国王、いつまで眠っておる!
王の名は、二万の兵士の名前に匹敵するものではないか。
武器をとれ、おれの名よ!とるにたらぬ臣下が一人、
おまえの偉大な栄光に刃向かおうとするのだ。(61)

ダンテについてはまたの機会にするとして、最終章のセネカの引用にもなかなかインパクトを感じた。

船の舵手には二つの人格が結合している。一つは、彼が仲間のあらゆる船客と共有するものである。彼もまた船客だからである。もう一つは彼に固有なものである。というのも、彼は舵手だからである。嵐は船客としての彼を害するが、舵手としての彼を害するわけではない。(284)

さてと。意に添わぬtaskに戻らねば。

王の二つの身体〈上〉 (ちくま学芸文庫)

王の二つの身体〈上〉 (ちくま学芸文庫)