『近代読者の成立』(1973)

2、3年前、神田・田村書店の均一棚で買ったものを、取り出して読んでみる。岩波現代文庫は、こういう著作を文庫化しているので偉いと思う。とはいえ、現代ライブラリーから落とすだけでなく、もっと入れて然るべき本は、他にもたくさんあるだろうとも感じる。頑張って欲しいところだ。
さて、この本だが、本当に学ぶべき知見が多い。明治3年に『西国立志編』、明治5年には『学問のすゝめ』が出版されたのだが、これらが大ベストセラーとなったことまでは知っていたものの、小学校の教科書として用いられていたことは知らなかった。いくつか引用を続けてみる。

  • 山路愛山は『現代日本教会史論』で明治初年に基督教に入信した青年に幕臣の多かったことを指摘しているが、福沢の説く実学の効用を、その屈辱的な生活から体験的に把みとったのも薩長土肥以外の士族でなければならなかった。かれらがその子弟の教育にかけた過剰な期待は、……小学生の透谷に毎夜十二時過ぎまでの学習を強制したというその母親の話……など、かずかずの回想録に示されている(119−120)
  • 演説と著作の双方から貪欲に摂取した福沢の啓蒙思想は、植木枝盛の自由民権思想の一つの核をかたちづくる。しかし、それは飽くまで一つの核に過ぎなかったのであって、彼の学習の対象が啓蒙思想に限定されず、基督教から江戸の戯作文学にまで及ぶ多元性を具えていたことは、その『日記』や『閲読書日記』によって明らかである。(121)
  • 枝盛や蘇峯を代表者とする此の世代は、不規則な教育を受け、ほとんど独学で自己を形成した世代である。維新の激動を潜り抜けた苛烈な体験から伝統的な価値観を否定し去った先輩達の豪放さと闊達さをなお失っていなかった世代である。……『学問のすゝめ』の受けとめ方も、きわめて主体的であり、立身出世主義の側面だけを切り離して受け取ったのではない。……(121−122)
  • ……弟達の世代は教科書に採用された『学問のすゝめ』から影響を受けた世代である。兄達の世代が『学問のすゝめ』を自ら選び取った世代、ないしは選び得た世代であったとするならば、この世代は『学問のすゝめ』を親達から与えられた世代、教場で学習した世代なのである。明治五年七月に布達された小学校教則には『学問のすゝめ』を始めとして『窮理図解』『世界国尽』『西洋衣食住』等の福沢の著訳書が、下等小学用の教科書として指定されている。また『文部省年報』明治十年度の「小学教科書一覧表」には『学問のすゝめ』が『西国立志編』と肩を並べて記載されている。全十七冊、価格四十二銭五厘とある。(122)
  • 此の世代の下限は明治十年代の前半で一線が引かれる。昂揚する自由民権運動に対抗して、政府は初期の開明的、啓蒙的な教育政策を大きく右旋回させ、儒教的なモラルの復活を図ったからである。明治十三年十二月には「学校教科書之儀ニ付テハ……国安ヲ妨害シ風俗を紊乱スルガ如キ事項ヲ記載せる書籍」(文部省布達)の採用が禁止され、福沢の著訳書、『西国立志編』『輿地誌略』等が教科書のリストから外された。(123)

「弟達の世代」は、「『学問のすゝめ』を立身出世の合理化ないしは動機づけとして受け取った世代であった」というが、自由民権運動が後退するようになると、「かわって兄達の世代の代表選手である徳富蘇峯が、『将来之日本』や『新日本之青年』を携えて論壇にさっそうと登場」し、それらが「迷える弟達に政治の世界にかわって実業の世界の可能性を啓示」する役目を果たしたのだという(124)。