Dさん

経済学者は、社会に法則性が存在することまでは知っていたが、それらを個人の定義から演繹する諸帰結として導こうとした。しかし、近代社会における社会や人間は複雑であり、そのようなやり方では、諸法則には到達できない。そこで学際的な方法論に通じ、社会そのものの法則性が存在すると考えるA・Kが現れた。
Kは偉大であったが、とはいえ、社会を非常に一般的なものとして考える傾向があった。つまり、人間の進歩(=という法則)はあらゆる社会で共通しており、進歩の行き着いた「文明社会」を探求すれば、おのずから法則が見出されるというのである。だが、これは誤りを含んでいる。「むしろ人類は、相互に分散していくその様々な分枝がそれ固有の生活を営むために徐々にその共通の祖先から離れていく巨大な一家族に似ている」のである(72)。

  • Kは実際、諸社会のではなく、人間社会一般の発展が従う法則を決定しようとしている。……社会科学が専心すべき、また専心し得る唯一のそして真の歴史的現実は多様な集合的個であって、人間種の進化とはこれら個々の進化の複合的な体系にすぎない……(SSA訳:95−96)。

D自身は、このような社会の多元性を「種」という生物学タームで表現している。なおSはこのことに気づき、歴史的な探求を行なったのだが、しかし彼は彼で、「普遍的進化の法則」なる一般化に陥ったようである。Sは最終的な進化の終極点に人間の自由な姿を見たが、社会的拘束ぬきの自由などは存在しない。むしろそうした拘束の歴史的条件を見抜くことが、新しい科学の役割だとDは主張するのである。
なお、このような実証科学熱には、歴史的条件が存在するらしい。最初は、王政復古の最初の数年間における合理主義的熱狂の時代。次に(普仏)戦争直後の時代。すなわち、「行政上の諸方策によるのとは異なった仕方で存続しうる体制、つまり真に諸事物の本性に基礎を置いた体制を再構築することが重要」だと考えられるようになった時代である(98)。