「大学の成立」

12世紀にはアベラールへの熱狂や、パリー学校の威信の増大によって、多数の人々の教育需要が生まれ、もはや教会内だけでは学校組織を包蔵することが不可能になっていた。そこで中央教会の近くに居住しつつも、「今や多数の教師や学生が全く聖職者的雰囲気の外におかれることにな」った(170)。すなわち、学校組織の世俗的再編が進み始めたのである。
ここで重要なのは、誕生した多数の教師たちが、同業組合全盛の社会的雰囲気と即応しつつ、排他的かつ連帯的な教師の同業組合を結成したことだった。教員同業組合は、教会と対抗することによってそのアイデンティティーを確立していった。すなわち、教会は「教授の免許状」の交付によって、「学校係」「大法官」に教師への絶大な権力を認めていた。その一方で組合員は、教皇に特権容認を求め、教会に抵抗を図ったのである。
そもそも組合は、就学人口の増大によって、ストなどの手段を有効に活用することが可能であったといえる。しかし教皇の側も結局、キリスト教の知的世界の中心である「パリー学校」の権威を認め、組合の権利を積極的に容認する道を選ぶ(「ただ、教皇だけがかなり離れた高い地位にあるため、事物の相対的地位を認め、それぞれに適当な場所を与えることができたのである。」(181))。こうして大学は独立しつつ、なおかつキリスト教知的世界の普遍性を前提とした国際的性格を帯びるようになった。
ねむくて、しんどい。