『空中庭園』

夜、やや無理をして観にいった。予想していたより全然良かった。私は評価してもよいと思う。監督のつよい表現欲求が素直に感じられるし、表現手段も、コッテリ気味ではあるが、神経が行き届いている。郊外の閉塞感とトラウマの乗り越えが映画の主題だが、映像面では純粋に楽しめた。
ただし、感性が若すぎて、教養はまったく感じられないのが難点ではある。ぶっきらぼうなセリフというのはあっても良い。しかし、ただ乱暴なだけのセリフには、作り手の感性の貧弱さを感じてしまう。(まあ、貧弱な感受性によってのみ希求されうる繊細な世界感覚というのもありうるだろうし、そこらへんは、ほんとうは難しいところだが…。)
さらに原作は知らないが、脚本をうまく処理しきれていないようにも感じた。郊外の閉塞感を描くなら、「平々凡々たる日常のなかに広がる、言い知れぬ拘束感」を表現しなければならない。しかし、小泉今日子はトラウマを抱えており、最初から日常は狂気によって支えられたものなのである。これでは変である。
トラウマの乗り越えの処理もまずいだろう。トラウマとは、この映画の場合、キョンキョンとその母親との間で生じている近親憎悪関係のことである。しかし、そもそもトラウマは、他者との出会いによる自己相対化をつうじてしか、解消されないものであろう。なのに、最後に救われるキョンキョンは、この映画中、一度も他者との遭遇を経験しないのである。他者との出会いではなく、親や家族からの承認によって解消されるようなトラウマであるなら、はじめから描くに値いしないと思うのだが…(親や家族も他者である、という矮小なストーリー化ならば可能であるが)。
つまり、矛盾たっぷりの映画だけれど、ロックな映像表現ということで、未成熟ながら評価しようという感じ。ちなみに、監督は覚せい剤でつかまった人であるらしいが、覚醒剤はダメ、ゼッタイ!大麻にしましょう。