『大転換』の続き

読んでみたのだが、よく理解できない所が多い。すごく気分が悪い。
大筋としては、1870年代以降、自由主義イデオロギーが蔓延し始めたとき、じつは「経済的自由主義と自由放任に対する対抗運動」(202)が生じており、たとえば労働問題とか、中央政府による経済調整とかは、そうした対抗運動の諸要素にほかならなかったわけだけれど、しかしそれらの兆候は現実には気づかれずにおわり、(1)強大国間のパワー・オブ・バランス、(2)国際金本位制への期待、(3)自己調整的市場への信憑、(4)自由主義的国家への信憑の4要素が絡まりあって、19世紀の文明様式は1929年までの50年間をかけて崩壊への道をたどっていったのだ、という話になる。
国際金本位制脆弱性については、ヒュームの「貨幣数量説」(=「貨幣の量が半分に減ったとしても価格は以前の水準の半分に変動するだけであるから企業はなんら影響を受けない(262)」)への批判とともに、次のように説明されている。

  • 長期的には、販売価格の変化は、費用がこれにつれ上下するから、利潤に影響を与えないかもしれないが、短期的には、契約によって取り決められる価格の変化には時間がかかるから、右のことは妥当しなくなる。……もし価格水準が貨幣的原因で相当の期間下落しつづけるならば、企業は〔=とくに労働価格の下落には時間がかかるから――引用者注〕、生産組織の混乱と資本の大量の破壊とによって、破産の危険に頻することになる。(262)

わからないような、わかるような…。とはいえ、長期レンジでは金本位制による自己調整システムは作動するのだから、短期レンジでの変動を、短期借り入れなどの国際取引によって調整すれば、金本位制は延命しうるとも考えられるわけである。そして実際、そのようなシステム構築が図られることになった。しかし、今度はそこにパワー・オブ・バランスの政治問題が生じてきて、結局国際金本位制は危機から逃れることができなかったらしい。

  • 通貨が低迷している国は常に自動的にその国の輸出を増大させ、それにより国際収支を回復させるであろうとか、外国資本が必要な国は、必ずや負債の便宜を入手すべく外国人にそれ相当の報酬を支払うことになるものだと期待するのは根拠のないことであった。……むしろ、砲艦が直ちに派遣され、破産に瀕した国は、詐欺行為〔=借金踏み倒しのこと――引用者注〕があろうがなかろうが、砲撃か支払いかの二つにひとつの選択を迫られる。支払を強制し、莫大な損失を回避し、システムを機能させるためには、他に利用しうる手段はなかったのだ。(280)

こうまとめてみると、何だか自分が理解しているような錯覚にとらわれるけど〔=まとめるのが上手だから〕、どうしても感覚的にすっと入ってこない部分がある。よい参考文献はないものか?