『幇間の遺言』

悠玄亭玉介(ゆうげんてい たますけ)。おすすめ。
とってもタメになる。落語とか歌舞伎とか色物とか、昔の芸能界の裏話が盛りだくさんで、勉強になる。素晴らしい洒落も連発されており、特に「壁にミミあり、障子にメアリー」なんてのは、いつか必ず使ってみたいと思う。
「いまは暑けりゃ冷房、寒けりゃ暖房の時代。それで育ってきてるから、どっちかってえと、ひ弱だね」という調子で、こんなことも書いてある。

いまの時代、職人がいなくなった。
なんだって、電気だ、機械だ、コンピューターだろ。お湯かけて三分だもん。セックスだって、電話をかければ女にありつけるし、女の方だって金さえもらえば相手は誰だっていいんだから。いやあたしたちの時代だってそうだったけど、よかったら通ったよ。裏を返してさ、セックスだけじゃなかったよな。
落語もそうだ。いまの咄家を見てるとね、まくらはうまいよ。まくらってね、セックスの話じゃないよ。落語の最初の出だしのとこ。時代に合わせて、おもしれえこといってる。でも、扇子の使い方ひとつ知らない。昔の人たちはね、まくらでは扇子を振りまわしても、本題に入ったら、まず扇子を置くんだ。……
まあ、あたしが聞いてるところによれば、いまの咄家のは落語じゃなくて、漫談だな。だから、味わいというのがない。ただおもしろければいいってもんじゃないんだ、落語ってえやつは。我々、明治の人間から見ると、淋しいよな。でも、淋しいなんていってられないから、「淋しくなんかないよーだ」って顔してるけどさ。(223)

教訓を垂れてるのも良い感じ。「精出せば/凍る間もなし/水車」と「倒されし/竹はいつしか/立ちなおり/倒せし雪は/消えてなくなる」というのは、暗記しないといけない。

欲があるから、頑張れる。欲てえものは、必要なんだ。だけど欲張っちゃいけない。人間てえのは、生まれながらにして、大きさが決まってるんだ。
「一生は一升に通ず」てんだ。いってみれば、人間は一升のマスみてえなもんだから、一升のマスに一升以上の水を入れようとしたって、こぼれちゃう。
そうだろ。あんまり頭のよくない子供に、勉強、勉強なんてつめ込もうとしたって、入らないものは入らない。みんなこぼれちゃう。……
あたしは、自分のマスのなかに一升は入らない。八合五勺が限界だって思ってるよ。
人生、八合五勺。なっ、いいだろ。人間、それでいいんだよ。あたしも欲張らないことにしてんだよ。これ以上、欲張ると、こぼれちゃうからな。(257−258)

下ネタも、味があって、素晴らしい。「あそこの具合の良い女の見分け方」なんてのも、タメになるかどうかは分からないが、まあ、参考になる。

幇間の遺言 (集英社文庫)

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