ジェスイット会修道士

50ページ読書。今日は、久々に昔の資料(1949)も読んだりしたけど、EPFはやっぱり50ページにとどまったね。
ラブレー=博学教育、エラスムス=文芸教育、モンテーニュ虚無主義的教育だが、教育思想が現実にどのように社会で実現したかということはまた別問題であり、その点を見ていく必要がある。ルネッサンスの教育思想は、社会的機能を考えない夢想的なものでしなかったが、現実にはそれは、部分的に社会的機能を果たすかたちで運営されていたとも期待できるのである。
ところが、16世紀の中期になって見られた制度的展開は、じつは思想の極端さとほぼ変わらないような偏った内容であるにすぎなかった。この時期には、ジェスイットによるコレージュが大きな勢力を誇ったからである。具体的には、1500年と1530年の間にスコラ教育とルネッサンス式文芸教育という断絶が存在する一方、16世紀の中盤にはさらに、ルネッサンス式教育のなかにジェスイットによる教育が入りこんでくるのである。
ジェスイットの最大の特徴は、世俗性と超俗性の二律背反であった。民衆の社会的勢力が伸張するなかで、カトリックはもはや旧来的な修道院によっては民衆教化が不可能な状況におかれていた。そのなかでジェスイットは、世俗に最大限に妥協するかたちで聖性の維持を図ろうとした。このような試みが必要だったのは、ルネッサンス人文主義者の活躍が広がりを見せ、彼らも含めたプロテスタントの勢力が、もはや無視しえない状況になっていたからであった。
ジェスイットのコレージュは、その認可にあたって人文学部などと対立をくり返し、浮沈の末に制度化されるにいたった。しかし、そうしたなかでそれは着々と生徒を集めることにも成功していた。その理由は、(1)学費の安さ、(2)教育内容への人気、の二点に求められる。ジェスイットは信仰心が篤く、したがって不気味な人々との偏見が広く見られたが、この人気の意味を探るためには、教育内容・教育組織について公平に評価する視点をもたなければならない。