古典的教育の帰結

フランス語教育はきわめて低い地位にとどめられていたが、それに挑戦したのは1643年の小規模学校で、これはポール・ロワイヤルの教師によって行われたものだった。ジャンセニストである。制度的には短命に終わったが。
しかし、古典語教育中心主義は、その後もほぼ変わることなく続き、このことは以下の3点において、フランス社会に大きな影響をあたえることになった。
(1)フランス語の数学的な明晰性が育まれた。一般に、他言語を習得することで、自国語への理解が増すことが考えられるが、16世紀の排他的なラテン語教育が、かえって17世紀のフランス語の成熟・隆盛をもたらしたのである。
(2)17世紀のフランス文学隆盛がもたらされた。フランス文学は、普遍的人間類型を造型することによって大きな盛り上がりを見せたが、これはコレージュで行われていた教育が、歴史的観点を強調するものではなく、古典時代と現代を同じ時代であるかのように見なすものだったからである。人文主義は古典文学を崇拝し、ジェスイットはそれを形式的に突きつめることで、どちらも歴史的視点を見失っていたが、この非人格的・抽象的教育内容のゆえに、フランス文学の普遍性は成立しえたのである。
(3)フランスのナショナリズム意識を減退させ、功利主義的な個人主義を生み出した。これは悪い結果であるが、普遍的人間を称揚するあまり、ナショナリズムにたいする意識が低下することになった。(これが悪いとされたのは、たぶん普仏戦争の敗北のせいではないか。)
まとめるとフランスの教育史は、(1)12〜14C「スコラ時代」において学校組織を定着させ、(2)16〜18C「人文主義者の時代」において文芸教育がさかんになり、(3)18C後半から歴史・科学教育が叫ばれる、ということになるのだが、これまでは(2)の段階までを見てきたわけである。