ジェスイットと大学の教育体系

教育内容はかなり共通していたのだが、何が違うかというと、ジェスイットのコレージュが「詰め込み教育」だったのに対し、大学の方は「ゆとり教育」だったことである。
大学がゆるかったのは、(1)大学の活力が低下していたから(A:宗教戦争のため、B:同業者組合的性格が希薄化し、国家機関化していたため)、(2)教育内容・方法が慎重に考えられていたから、ジェスイットのような極端には走らなかったため、である。
それでは、ジェスイットの作文教育を中心とする詰め込み教育は、どのような訓練体系を取っていたのか?(1)連続的で継続的な人格的接触をつうじた訓練(A:人間の本性は悪だから監視が必要だったと考えられたから、B:個性に応じた教育を実現するためには観察が必要だったから)、(2)競争原理による訓練(学級の身分制的編成、十人組という班別競争の原理)。以上の2点が、その特色である。
ジェスイットのこのような教育内容は、中世から近代への社会的・精神的構造変化に根ざしたものだった。中世では、集団的で非人格的な教育がなされ、そのもと初期のコレージュ組織のような集団性が学校組織となっていた。しかし、16世紀から17世紀頃には、社会の個人化が進行し、教育もそのような変化を経験することが必然だった。ジェスイットにおける個性化と競争化という二契機は、正しく近代への社会変化を反映したものだったのである。
ジェスイットのコレージュは、社会的に支配的位置を占めたため、その後の教育においてきわめて大きな役割を果たした。とりわけ競争教育はこの時点で成立したといってよい。しかしジェスイットの人格的・競争的教育は、過度に功利主義的な個人主義の方向性を向いていた点で、反省されるべきである。