キレた

学問修行とは、特定の物の見方を血肉化するまでに訓練することである。したがって、腐った「物の見方」を訓練されたとなると、腐った研究者が量産されることになるのは必然だ。学統は、その意味で極めて重要である(「学統」は「学問分野」にまで広げて考えてよい)。
今日はバカばかりのゼミに出て、非常に不快な思いをした。ずっと我慢していたため、怒りが持続して困る。もう一度、偏差値を計り直すべきではないだろうか?といって、偏差値はきっと高いのだから、なおのこと腹立たしい。