『ベリッシマ』(1951)
フィルムセンター。
ベリッシマ(114分・35mm・白黒) BELLISSIMA
第二次大戦後、イタリアのネオレアリズモ運動は世界の映画芸術を先導した。そこから現れたヴィスコンティ監督の名作で、娘を子役に売り出そうと躍起のステージママに扮したアンナ・マニャーニの気迫の演技にも注目。
’51イタリア(監)(脚)ルキーノ・ヴィスコンティ(原)チェーザレ・ザヴァッティーニ(脚)スーゾ・チェッキ・ダミーコほか(撮)ピエロ・ポルタルーピほか(美)ジャンニ・ポリドーリ(音)フランコ・マンニーノ(出)アンナ・マニャーニ、ヴァルテル・キアーリ、ティナ・アピチェッラ
ヴィスコンティは『ルードヴィッヒ』を大学1年か2年のときに渋谷の文化村で見たことがある。あのときはワーグナーのタンホイザーがずっと流れていて、20分ぐらい居眠りしてもまだ同じような場面が続いているので驚いた。ああ、懐かしい。本作はそういう耽美的なのとは違って、イタリアの庶民の活気あふれる生活が主題となっている。でも、あきらかに名作である。
かわいい子どもが出てくる映画でランキングを作ったら、確実に上位に組み込むだろう。それくらい女の子がかわいい。お人形さんのよう。チネチッタから素人子役の募集があり、それに応募する母娘とその家族の物語。母親がけたたましくしゃべりまくり、これに驚かない人はたぶんいないと思う。声の演出はこの映画のキー・ポイントである。今この瞬間を明るくまっすぐに生き抜く、というイタリア人の現世肯定的な生活信条が、快活な会話のやりとりに表れている。
この映画の劇的なドラマ性は、最終審査のフィルム審査の場で、映画関係者とともに母親が映写室から娘の演技を見る場面に見出される。もちろん、母親は隠れてこっそり見ているのである。しかしそこで映し出される映像は、指示された演技をこなす途中で泣き出してしまう娘の映像だった。もちろん完全な演技を期待していた母親はそれに戸惑う。そして映像を見ている審査委員たちは、そのあどけなさ、かわいらしさに、思わず全員笑い出してしまう。しかしここで、母親は審査員たちに怒りを感じるのである。なぜ母親は怒ったのか?素朴に考えれば、そして母親自身審査員に詰め寄って主張していたように、それは、自分の懸命な努力が審査員たちの笑いをさそう結果にしかならなかったことに対する怒りだ。また、審査が真面目に行なわれているように考えられなかったことに対する怒りだ。だが、真実はそうではない。母親自身気づかないでいたかもしれないが、彼女の怒りは、子どもが、みずからの振舞いによってただ戸惑いのうちに置かれていたにすぎなかったことが、フィルムを通してあまりにも露わになっていたから生じたのである。そしてそのことが自分の生活信条、すなわち「今、この瞬間を懸命に生きぬく」という生活信条と背馳するものであることが無意識のうちに感じとられたから、母親は怒りを感じたのだ*1。
未来のスターとして選ばれるということは、必然的に人生の大きな分岐点を意味する。しかし、そうした運命の分かれ目を、映画関係者は非常に軽い気持ちで決定してしまう。おそらくそれは自然なことだ。運命とは、しばしば軽い気持ちから大きな転回を見せるものだ。
しかし母親にとって、そうした軽さは、けっして肯定できるものではなかった。日々を楽天的に生きるということは、けして軽薄であることと同じではない。運命はたしかに移ろいやすい。しかしそれが移ろいやすいものであるからこそ、それを肯定するための真剣な現状肯定の倫理が必要となるのだ。そのような生の倫理への決断が、上記の場面の映画的ダイナミズムを生んでいるのである。
審査委員をなじったあと、母親は眠った娘を抱いてチネチッタを後にする。屋外は曇り空、その荒涼としたカットが、ふだんの日常生活との鮮やかな対照をなしている。あたりはどんどん暗くなる。夜のベンチで母は娘を抱きかかえ「助けて」と言う。その意味するところは明瞭ではない。ただその不明瞭さは、楽天的に見える生活にさえひそむ生の深淵を示している。
イタリアに行きたくなった。
*1:だからもちろん、母親は自分が審査委員と共犯者であったことに気づいたのである。娘の演技を審査する視線を共有しつつ、そこで共有されきれない無意識的な違和が、怒りというかたちで噴出したのである。