『大川周明』

大塚健洋『大川周明 ある復古革新主義者の思想』(1995)。コンパクトながら要領よくまとめられた好著。
序章で述べられているとおり、東京裁判から流行し、丸山真男が引き継いだ「ファシズム」という分析枠組は、大川周明を語る際には明らかな限界を持っている(これは共産党の「反戦・反ファシズム」の親近性から、アカデミズムでも受け入れられた枠組である)。大川周明を語るうえで限界があるということは、戦前日本の政治思想の射程を計測するうえでも限界があるということだ。
会津藩の西郷熱の影響を背景に、儒教思想を取り込みつつ、煩悶青年として社会主義思想に染まっていく大川周明は、東大では宗教哲学を学び、岡倉天心などにも影響されて独自の日本主義思想を育んでいく。第一次大戦時のヨーロッパ世界の行き詰まり、日本国内でも露呈しつつあった社会的矛盾の現実は、大川にインドとの出会いをもたらし、亜細亜主義の思想へと彼を導くことになるが、北一輝らと結成した猶存社、北との決裂後の行知社(ぎょうちしゃ)等の活動にもかかわらず、それは観念的な右翼思想・日本主義とは一線を画するものだった。大川の思想は個人主義をベースにした社会主義であり、その理性的な状況認識において、矮小化されたファシズム思想とはまったく異なるものである。この点、大川と論戦した蓑田胸喜との相違は、革新右翼/観念右翼という対立軸によって鮮明にしておく必要がある。
ただし、今日的見地からすれば、大川の思想の最大の弱点は、進化論的な歴史哲学にあると私は思う。西欧思想との対決上、日本および亜細亜の特質を強調する必要があったとはいえ、やはり現在の学問的水準からすれば、古代王朝の支配イデオロギーたる天照大神の体系=日本思想の源泉をあまりにナイーブに受容してしまっている点は否定しがたい。もちろん、それはネイションの独自性を主張してはならない、ということではない。言語論的転回を経た今日にあっては、その独自性は言葉=概念の歴史性にこそ求められるべきだということである。
しかし当時にあって、その思想の射程はやはり素晴らしいものがあった。『復興亜細亜の諸問題』でも述べられているように、イスラム教の政教一致の社会原理に注目する点などは、「なるほど」と感嘆するしかない。また、亜細亜主義ソビエトの政治力を利用しようとしたことも、若き日の社会主義の影響だとも考えられるが、興味はつきない部分である。それに岸信介ルートで、彼の思想はある程度の現実性を持ったと評価することも可能である。
ちなみに疑問に思ったのは、大川の『日本二千六百年史』は不敬であるとして改訂を余儀なくされるのだが、三月事件などを通じてあれだけ政治力を持ちえた人間の著作が、何故そんな風に圧力に屈することになったのか、ちょっとよく分からない。
http://d.hatena.ne.jp/seiwa/20051016

大川周明―ある復古革新主義者の思想 (中公新書)

大川周明―ある復古革新主義者の思想 (中公新書)