『談志絶唱 昭和の歌謡曲(うた)』

「佳作」って、よく見ると上品な文字だけど、まさにこの本はそういった感じ。感性だから何ともいえないが、分かる人にしか分からない味があると思う*1

人間は未練で一生を生きるのである。(251)

この一節が全体の基調。

家元は今、痛烈に感じている。周囲(まわり)がどんヽヽいなくなる、辞めていく、死んでいく、老けてくる、落ちていく。“自分はまだだ”とは思ってはいるが、自分だけが何で特別なはずがある。立川談志、“老い“は目前なのだ。いや、もう老いている。いいや老いた。体力の凋落は、毎日の朝に夕に声に姿に、それが見える。(201−202)

謡曲は青春を歌った、と家元はおっしゃる。青春の記憶が、個々の固有名詞のなかに繋ぎとめられている。

……で、ふと思った、「そうだ、歌謡曲自体が青春だったのだ」と。
「青春」。毎日々々がドキヽヽしてて、世の中に出るその頃だ。初めて知ることが何と多いことか。空を見ても感動し、人の会話に笑い怒り、それも新鮮に痛烈に。
あとになって、なんであんなことに興奮したのか、なんであんな人に恋したのかと思う。これを「青春」という。
……
謡曲が、歌謡曲自体が青春だったのだから、「時代劇」を唄おうが「世の事件」を唄おうが、もちろん「恋」があり「戦争」もあり「人生の落ち目」を唄おうがかまわない。あの時代には歌謡曲が日本人にとって何よりの文明であり文化であった。しかしその青春も当然のこと、いつしか老いた。
謡曲が老いたのです。
なぜ老いたのか。「日本が老いた」からです。(226−227)

先が見えないから、見えない先が目標となる。目標があるから、共同性が生まれる。共同性があるから、そこに感情移入が生まれる。
謡曲の条件は、そこにあった。

……これを体験して育った私は幸運であった。こんなドラマチックな世を生きてきたのだ。それ故、「物」の有り難さも人一倍解れば、逆に怒りも生まれる。そして、あきらめた今日の己(おのれ)……。
それでも、そのことをこういう本に書き残すことのできる有り難さ。
人間は未練で一生を生きるのである。(251)

談志絶唱 昭和の歌謡曲

談志絶唱 昭和の歌謡曲

*1:優劣をつけるわけではないが、たとえば小林信彦を読んで、「この人は談志的世界とは相容れない人だな」と感じた。意識的だろうからそれでよいのだが、私はだんぜん談志派だ。