『リラの門』(1957)

リラの門(98分・35mm・白黒)
PORTE DES LILAS
巨匠クレール最後の長篇で、題はパリ東端にある下町の地名。お人好しの飲んだくれと、ギター弾きの“芸術家”が逃亡中の強盗をかくまって世話を焼く。戦前期クレールの面影を残す庶民劇が、ヌーヴェル・ヴァーグ前夜に最後の輝きを見せた。シャンソン界の異彩ブラッサンスがギターを抱えて主演、自作の歌を披露する。
’57(監)(脚)ルネ・クレール(原)ルネ・ファレ(脚)ジャン・オーレル(撮)ロベール・ルフェーヴル(美)レオン・バルザック(音)ジョルジュ・ブラッサンス(出)ピエール・ブラッスールジョルジュ・ブラッサンス、アンリ・ヴィダル、ダニー・カレル、レイモン・ビュシエール

上映終了後、早稲田大学の先生の講演を拝聴した。クレールは、ヌーヴェル・ヴァーグの批評家・作家らによって旧時代の映画監督であるとこき下ろされたのだが、それはヌーヴェル・ヴァーグの新たな可能性を根付かせるうえでの戦略的批判(作家主義)にすぎなかったらしい。むしろヌーヴェル・ヴァーグ的感性は、クレールにより映画内映画記述(メタ映画記述)といった形で推し進められ、そういった意味でも彼を偶像破壊から救い出す必要があるという。さらに山田宏一によると、クレール批判には、新世代の近親憎悪(同じものであるがゆえに過剰に距離をとらねばならない)が隠されていたのではないか、ということだそうだ。
とまあ、御託はともかく、これは名作である
フランス版寅さんといった雰囲気もあるが、馬鹿正直で素朴な主人公が、その素朴さにもかかわらず、形容しがたい情感を身に帯びる瞬間が、みごとに表現されている。また酒場の娘が犯罪者に逢引きをする場面で、ギター→オーケストラ→アコーディオンと音楽が移り変わっていくシーンも、個人的にはきわめて印象深かった部分である。娘の恋心がまっすぐだからこそ、主人公の遣る瀬なさも際立つのである。
早稲田の先生が指摘していた、子供たちが犯罪者追跡ごっこをする場面もたしかに楽しい。あれは犬の使い方が、かわいらしい。