出口裕弘『太宰治 変身譚』

読了。著者はバタイユシオランの翻訳でも知られる。途中、パリでシオランと交遊した際の挿話もあり、興味深く読んだ。シオランはいいなぁ。・・・じゃなくて、太宰である。
太宰治については、私は愛読者ではまったくなく、家庭教師で中学生に「走れメロス」を教えたとき、「この嘘っぽさは意図なのか?」ととまどったくらいの経験しか持っていない。また中学生か高校生のときに「人間失格」を読んだ記憶もあるが、何の感興も湧かず、たしか「斜陽」は途中で読み捨てたのではなかったかと記憶している。
評伝としては猪瀬直樹の『ピカレスク 太宰治伝』を興味深く読んだ。しかし本書では、「太宰の心中事件は偽装」との猪瀬の推理はとられていない。複雑な心理の絡んだ真実を一義的に特定することはできないし、とりわけ太宰のような人間においては、そうすることで見えなくなる部分の方が大きい。本書は太宰の複雑に屈折した内面を多方面から解読した作品論である。
出口によれば、『晩年』を筆頭とする戦前期の充実と比較し、戦後の作品には翳りが見られるのだという。ただ、その「翳り」の内的必然性へと推理が進められているのは、本書の読み所であろう。結論めいた箇所を引用すると、以下の通りである。

この作家はもともと強烈な自己愛の人だった。(自己肯定ではなく自己愛だ。自分を肯定できれば小説など書く必要はなかった。)『二十世紀旗手』の有名なエピグラフ「生れて、すみません」は、自己肯定を死ぬまで拒否した小説家の、乾坤一擲ともいうべき逆方向からの自己愛宣言である。
自己肯定は文学にならない。自己愛は文学になる。……どころではない、優れた文芸作品はことごとく作者の自己愛の結晶だといっていいくらいである。ただ、いうまでもないことながら自己愛は深く隠される必要がある。露呈したら終わりだ。明敏な読み手たちはたちまち巻を閉じ、二度と開かない。
『晩年』の諸作からして太宰は、強烈な自己愛をとうてい隠しきれない資質の持ち主だとみずから知り、至るところに「なあんてね」を仕込んで、一瞬のうちに当の自己愛を相対化してみせた。「嘘の三郎」の超から口の文体は、そうした捨身のわざの、最上の成功例だと昔から私は考えてきた。
戦後、東京に舞い戻ってからの太宰の作品には、自己愛相対化の手練にはっきりとかげりの出たものがある。先に引いた『ヴィヨンの妻』や『父』の気恥ずかしい何行かがその例だ。(162−163)

出口によればその理由は、「やはり、突如として受容され、賛美され、多数者に熱く求められたことが自己愛相対化を鈍らせたのだと思う。……太宰の場合、ほかならぬこの私を含め、新作を求める愛読者の声はいっときまさに耳を聾した。強烈な自己愛の人・太宰治の文学に変調が起きたのは自然な成り行きと見るほかない」、ということである。
しかしまあ、この本を読んで始めて気づいたのは、太宰の文章の水準の高さである。『ロマネスク』から、著者が「いっそゴシック体で引きたいくらい」と述べている部分を、ここに重引しておこうか。

太郎が十歳になつたとしの秋、村は大洪水に襲はれた。村の北端をゆるゆると流れてゐた三間ほどの幅の神梛木(かなぎ)川が、ひとつき続いた雨のために怒りだしたのである。水源の濁り水は大渦小渦を巻きながらそろそろふくれあがつて六本の支流を合せてたちまち太り、身を躍らせて山を韋駄天ばしりに駆け下りみちみち何百本もの材木をかつさらひ川岸の樫や樅や白楊の大木を根こそぎ抜き取り押し流し、麓の淵で澱んで澱んでそれから一挙に村の橋に突きあたつて平気でそれをぶちこはし土手を破つて大海のやうにひろがり、家々の土台石を舐め豚を泳がせ刈りとつたばかりの一万にあまる稲坊主を浮かせてだぶりだぶりと浪打つた。それから五日目に雨がやんで、十日目にやうやく水がひきはじめ、二十日目ころには神梛木川は三間ほどの幅で村の北端をゆるゆると流れてゐた。

『斜陽』の「蛇は、やつと、からだを動かし、だらだらと石から垂れ落ちて行つた」の部分でも良かったんだけど。

太宰治 変身譚

太宰治 変身譚