高校野球

観戦。自分が高校生のときには、なぜ野球ばかりが脚光を浴びるのか、卓球の全国大会ではなぜ国民に感動を与えられないのか、と批判的な見解をもっていたものの、見ているとやっぱり感動的だったりする。それに建前であっても、清く正しい高校生像を堅持することの効用は大きい。建前の欺瞞性を暴くのが冷戦体制下での真の思想家の役割だったとすれば、冷戦以後の世界では、リアリズムという名の不透明なイデオロギー性に抗するためにこそ、建前の意義があらためて称揚されなければならない。亀田一家に寄生するマスコミの姿勢を見ればその必要性は明らかだ(これは亀田一家に対する批判ではなく、マスコミの姿勢に対する批判である)。
とにかく、早実の斉藤投手は、非常に爽やかな高校生だと感じた。彼はいい。