フランス革命の生起要因

柴田三千雄フランス史10講』(岩波新書)。思わず読み進めてしまう。
フランス革命の背景には、18世紀後半からの「大西洋革命」のなかで、「特権的中間団体の王権への抵抗、経済発展を背景にもつブルジョワ層の上昇、民衆騒擾」の三要因が生じてきたことがある(123)。従来型の素朴な「民衆VS貴族・王権」図式ではなく、このような社会史的背景を押さえた歴史の見方が必要である。この「三極構造」は、89年段階においては、次の通りだ。

……特権貴族の抵抗が王政を機能麻痺させるまでに頑強なため、袋小路に入った政局を打開すべく理論的に先鋭化した変革主体が出現する。彼らは徒手空拳の議員たちであり、急遽民兵(国民衛兵)を組織するが、その権力の行使は、民衆運動の介入によってはじめて可能である。だが、民衆運動は変革主体を擁護する別働隊では決してなく、むしろ変革主体の所有秩序を脅かす自律的存在だ。変革主体はこの民衆運動の沸騰に支えられて、かろうじて中央・地方レベルの制度的な権力交替にたどりついたのだが、民衆運動にたいする制御能力をほとんど欠如している。他方、王政に抵抗した旧体制の支配層の大多数は、予想もしない情勢の急展開を前にして、いまや国外勢力と連携をはかる反革命派に変容しはじめる。(123−124)

フランスは、国民国家形成のプロセスにおいて、「専制」と「平等」のジレンマを揺れ動いてきた。絶対王政といえども、「王国の基本法」の尊重が前提とされたことは、ボダンの『国家論』(1576)にも明らかだ。このようなジレンマを経験したのは、王権の絶対性が、「社団」を中心とする中世的な中間集団によって牽制されてきたからにほかならない。上記の「三極構造」の歴史的背景には、こうした事情が介在している。
これがある程度フランス特有の事情であるのは、マルク・ブロックの主張する通り、初期カペー王朝の支配範囲がロワール・ムーズ両河間の王領地に限られていたからである(64)。狭い領地に王権が存在していたことによって、領邦君主領のローカルな支配が認められ、その政治的懐柔のためには、貴族の免税特権が必要とされた。これが、中間団体の政治的自律性を容認するフランス特有の政治構造を招いた一要因であると考えられる。この指摘が面白かった。