所有権の人類学的基礎

所有権は、個人主義的な近代社会における基礎的概念のひとつである。この概念は何に由来するのか。さしあたって可能な回答は、個人の人格的尊重が行き渡った結果として個人所有の概念も生まれた、というものだ。だが、これは誤った考え方である。
古代ローマ時代では、農業生産のための土地所有は、ある区画を境界づける一定の幅の土地の徹底的な聖化によってなされた。土地には精霊が宿っている。精霊によってタブー化された土地の使用に際しては、俗世界に住む人間の儀式的手続きが必要とされる。すなわち、聖と俗とを区別する儀式がとり行われることによって、ある一定の土地が独占的に使用可能となる。同時に、そこで聖別された部分の土地については、あくまでタブーは遵守される。具体的には、供犠に付された動物の血やぶどう酒、熱した木炭などが、儀式に用いられた。
これが所有観念の起源形態を示しているのは、神に由来する事物には、タブー化が施されるからだ。これこそが重要な点である。タブー化とは社会成員にその使用・占有を禁じるものである。これこそ所有観念の出自にほかならない。古代において、あらゆる事物には神の観念が宿っており、それは土地においても例外ではなかった。土地の精霊を聖別する儀式において、俗なる領域における所有の正当性は、はじめて保証されるものだったのである。
こうした、部族・家族といった集団による不動産の所有形態は、その後、家父長制権力の増大による個人所有意識の現出、あるいは経済社会の出現にともなう動産の個人処分権の増大によって、現在へとつながる所有観念に収斂していく。もちろんそこで個人主義化が進み、人格の尊重意識が芽生えたことはたしかであるが、事物の排他的独占としての「所有」観念とは、その排他性という特質が見出される限りにおいて、聖別におけるタブー化の機制に淵源しているのである。
深いっ!!