ご意見ありがとうございます

たしかに、サカキバラはインパクトあった。

shou 『M先生や福ちゃんが評価している「1977年生まれ前後」の人って女性のみを指しているのかね?男性はどうなんだろうか?/当時のころを思い出すと、個人的には、阪神大震災日の高校に行って話したことや地下鉄サリン事件の日のこととかはよく覚えているが、それよりも精神的にインパクト強かったのは酒鬼薔薇だけどな〜。タンク山。皆さんはどうなんでしょうか?知りたかったりします。』

Hiroumix 『そうですな。「阪神大震災」「オウム事件」「酒鬼薔薇事件」は、ボクたち世代の3点セットみたいになっていて、確かに、これらに触れて自分語りをすれば、ある意味で自分たちの何ごとかを語ったかのように思わせてくれる記憶資源ですよね。しかし、seiwa氏も言うように、これがどういった「落差」を生じさせたかというと、なかなか自己分析しにくいところはありますな。』

まず、「1977年生まれ前後」がほんとうに才能豊かなのか、って問題がある*1。つぎに、才能を持った人はつねに少数部分なので、そういう人たちにとって社会的大事件がどういう意味を持ちえるのか、っていう問いに焦点化する必要があると思う(あるいは、社会的大事件はほんらい限られた才能のある人間の割合を増加させる、という仮説を考えてみてもよい)。
さらにHiroumixが自身のブログで述べているように、情報環境の違いは、もっとも大きな変数だと私も思う。その意味で福ちゃんとツボちゃんに賛成する部分はおおきい。
たとえば、携帯電話の普及は、家庭内での子どもと親のコミュニケーションの断絶をもたらしたとする分析がある。またつねに携帯メールをやりとりするコミュニケーションのあり方が、たんに関係性のつながりを確認するだけのコミュニケーション内容を一般化させたとする見方もある*2。世代間・世代内のいずれのコミュニケーションも大きく変動したというわけだ。
また私たちの世代が端境期の最後に位置する社会的文脈といえば、やはり近代家族規範の崩壊という要因は外せないと思う。それが崩壊して、タテマエがタテマエでしかなくなったというのが、Mセンセがしきりに言っていたエンコウ現象の背景要因でもある。
あと、これはちょっとマズイと思われる世代は、80年代文化をネタとしてではなくベタに受け取った世代と、団塊の世代なのではないか。団塊の世代も経済成長時代をベタに受け取った世代である。才能は輩出されているだろうか?この世代から。

*1:おそらく「表現者としての才能」が想定されているのだろう。そうであれば、表現欲求がどのような場合に芽生えるのかについて考えなくてはなるまい。

*2:小・中学生のブロフ、あるいは「ぱど」利用などについて仄聞するにつけても、彼らの多くはネット世界を携帯レベルでしか活用していないと思われる。もちろんスパで言われていたように、ネットで古本を探すか、古本屋で古本を探すか、というレベルでの知的環境問題も別に考えるべき問題だが。