『夢の砦』(新潮文庫)

今朝方、読み終わる。自分のなかで小林信彦という人の存在が俄然重みを増したのに気づく。前にも引用したが、再び引用。

ただし、主人公が、自分の作った雑誌から追われる後半のクライマックスは、九十パーセント、ぼくの体験したことだ。この〈体験〉は、ぼくが今まで口をつぐんでいた空白の部分で、千六百枚書いた原動力は、それへの執念だ。六〇年代初頭がバラ色の時代だった、などと言わせないために、ぼくは常識外れの長編を書いたのである。(279−280)

『宝石』を発行していた「弱小出版社」で『ヒッチコック・マガジン』の編集者を務めていた頃を描いた小林信彦の半自伝作品である。後半のサスペンスが「九十パーセント」事実であるとしたら、世の中というのは本当に怖ろしいものだ。また人間とはほとほと厄介な存在である。
読み終わって、この作品が「坊ちゃん」のようなB型ヒーローを主人公にした作品であるという意味がわかる。後半部の一章を割き、やや唐突に感じられるものの、主人公の下町への思いが語られている。下町の閉塞的な人間関係から脱出しようと、流行の最先端で活躍した主人公が、結局は薩長の山の手文化から裏切られ、敗残の憂き目に会う、そこでのやせ我慢がまた江戸っ子気質にほかならないものとしてある、そのことの屈折がじんわり伝わってくる。生まれたときから舗装された道で自然なんて知らないのですよ、と割り切る主人公が、東京オリンピックにむけた建設ラッシュに生理的嫌悪感を抱いているのも、同じやせ我慢、屈折した自己愛感情だろう。
1960年前後の社会風俗、テレビ草創期の混沌とした高揚状況、主人公が抱く戦争体験へのアンビバレントな世代感情など、いろいろ考えさせられる貴重な一冊。読んでいない人には、ぜひぜひおすすめ。夢の砦〈上〉 (新潮文庫) 夢の砦〈下〉 (新潮文庫)