溝口健二『山椒大夫』(1954)

小雨がぱらつくなか、フィルムセンターへ。

山椒大夫(124分・35mm・白黒)
鷗外の有名な短篇を下敷きにした、親から引き離されて奴隷生活を強いられた兄妹の悲劇を綴った作品だが、中世の荘園や奴隷制度に対する厳密な調査が反映されており、溝口作品としても稀なほどの澄んだ感覚を持つ。すすきの原やラストの親子再会のシーンなどでは宮川撮影の真骨頂が見られ、溝口作品は本作で3年続いてヴェネチア国際映画祭で受賞した。
’54(大映京都)(原)森鷗外(脚)八尋不二、依田義賢(撮)宮川一夫(美)伊藤熹朔(音)早坂文雄(出)田中絹代、花柳喜章、香川京子進藤英太郎、菅井一郎、見明凡太郎(朗)、小園蓉子、浪花千榮子、毛利菊枝、三津田健

溝口健二といえばというか、日本映画の傑作といえば『山椒大夫』とずっと思ってきたのだが、いろいろと見てみると溝口には失敗作が多く、ほんとに『山椒大夫』は傑作なのかと疑いが生じてきたため、再検証にいった。あの失敗作ばかりの溝口が撮ったとは思えない傑作である。とくに宮川一夫が良いのだと思う。
役者に必要以上の緊張を強いる溝口は、たぶんカリガリ博士の影響で、画の即物的な強度を得ようとしたのだろうが、脚本との有機的な結びつきの点で、成功例ばかりとはいえなかった。この映画はいずれのカットも見逃すことのできないほどの様式美が貫かれており、とくに最後の田中絹代は凄絶なまでの美しさだ。
Hiroumixがいたので、もろもろ話し合う。私の自説である、香川京子長澤まさみについても話す。