溝口健二『浪華悲歌』(1936)

なにわエレジー山田五十鈴の絶妙な演技。ツンデレといいますか、惚れます。

(71分・35mm・白黒)日活を脱退した永田雅一に従って第一映画に加わった溝口の最初の作品。20日ほどで仕上げることを余儀なくされたが、近代都市大阪を背景に、大阪弁と土地のローカルな気質が盛り込まれた。その結果、モダニズムの香る生き生きとした傑作となり、ヒロインの救いようのない哀れな境遇も過度の陰鬱さを感じさせない。
’36(第一映画)(原)溝口健二(脚)依田義賢(撮)三木稔(出)山田五十鈴、梅村蓉子、大倉千代子、大久保芿子、浅香新八郎、志賀迺家辨慶、進藤英太郎、田村邦男、原健作、橘光造、志村喬、竹川誠一、滝沢静子

双葉十三郎『日本映画〜』(文春新書)には、「…これを観て『すごいっ!』と感服した。続く『祇園の姉妹』でもそのすごみは変わらなかった。翌年には『愛怨峡』もあり、このころの溝口監督はよほど充実していたのだろう」とある。

…父や兄のため、金のため、電話交換手アヤ子(山田五十鈴)は妾にもなれば美人局もたくらむ。人を騙して生きのびようとするがついに敗残、家族からも恋人からも見捨てられる。失意のアヤ子はそれでも「わいは不良や」と呟き、ぐんぐん橋を渡っていく。虐げられ白眼視されても泣き崩れず歩いていく女性を描いた、乾いたハードボイルド・タッチの新しい女性映画で、山田五十鈴の素質を見抜きハードな演技をさせたのも溝口の監督の力量、また脚本家依田義賢はこの一策でぐんと声価を高めた。

戦前の溝口は、戦後の名作群とはまるで違う作風で、疾走感のあるスマートな作品を生み出した。この作品では、ネオンサインや山田五十鈴のファッションなどモダニズムを感じさせる一方、大阪の一癖ある旦那、古風な妻、人形浄瑠璃の場面などを登場させ、封建制に足を引っ張られる悲運な女性のリアリティーを描き出した。
溝口作品における、戦前と戦後の断絶が興味深い。