他力本願、できるものなら、やってみろ。

他力本願を貫き通すことは、じつはものすごく難しい。なぜなら、「他力本願として念仏を唱えていれば、それで自分は救済されるのだ」と考えるとするなら、それは救済としての念仏修行という意味で、自力本願そのものへと転化してしまうからである。念仏を唱えることとはしたがって「原理的に終わりなく続けられる反転の劇に身を投じることである」。「人は念仏を唱えるたびにみずからの状況の未決定性を更新しなければならず、それに耐え続けることは信仰者に新たな困難をもたらすことになる」のである。
といったことが、四方田犬彦歎異抄』(岩波書店『図書』2006年12月号)に記述されており、読んだ当時なるほどね、と思ったのだが、このようにして難解な法然の思想のエッセンスを伝達するのに果たした親鸞の役割の大きさが、このエッセイでは強調されている。親鸞天台宗の頂点を極めたエリート僧であったが、彼の高度な学識は、法然の思想を伝えるために用いられた。なお親鸞の妻帯は、法然によって命じられたものであるらしい。

親鸞が浄土宗の門を叩いたとき、法然はすでに多くの弟子を抱える身であった。だが彼はこの利発にして過激な青年を見込んで、当時僧侶には厳重な禁忌であった妻帯を、あえて彼に命じた。それは親鸞にのみ与えられた試練であった。そのため彼は、法然と同時期に流罪を申し渡されることになった。それ以後、越後と常陸における長期の滞在が、このエリート僧の人間観を大きく練り上げたことは、つとに知られている。…(49)

突然思い出したけど、空海遣唐使船に乗るまではよく分からない生活をしていたというから、修行期間というのは大切ですね。あと、禁忌を超えて妻帯するのも大変なことだったのだろうが、妻帯すると妻帯しないより大変であろうことも容易に想像できますわね。南無阿弥陀仏