『江戸芸術論』

大正二年、永井荷風。とりあえず情景を思い浮かべて、声に出して読んでみてください。

都門(ともん)の劇場に拙劣なる翻訳劇出(い)づるや、朋党相結(ほうとうあいむす)んで直ちにこれを以て新しき芸術の出現と叫び、官営の美術展覧場に賤(いや)しき画工ら鎬(しのぎ)を削れば、猜疑嫉妬(さいぎしつと)の俗論轟々(ごうごう)として沸くが如き時、秋の雨しとしとと降りそそぎて、虫の音(ね)次第に消え行く郊外の侘住居(わびずまい)に、倦(う)みつかれたる昼下(ひるさ)がり、尋ね来(きた)る友もなきまま、独(ひと)り窃(ひそ)かに浮世絵取出(とりいだ)して眺むれば、ああ、春章写楽豊国(しゅうしょうしゃらくとよくに)は江戸盛時の演劇を眼前に髣髴(ほうふつ)たらしめ、歌麿栄之(うたまろえいし)は不夜城(ふやじよう)の歓楽に人を誘(いざな)ひ、北斎広重は閑雅なる市中(しちゆう)の風景に遊ばしむ。余はこれに依つて自(みずか)ら慰むる処なしとせざるなり。(15)

ヴェルハアレンを感奮せしめたる生血滴(なまちしたた)る羊の美肉(びにく)と芳醇(ほうじゆん)の葡萄酒(ぶどうしゆ)と逞(たくま)しき婦女の画(え)も何かはせん。ああ余は浮世絵を愛す。苦界(くがい)十年親のために身を売りたる遊女が絵姿(えすがた)はわれを泣かしむ。竹格子(たけごうし)の窓によりて唯だ茫然(ぼうぜん)と流るる水を眺(なが)むる芸者の姿はわれを喜ばしむ。夜蕎麦売(よそばうり)の行燈(あんどう)淋(さび)し気(げ)に残る川端の夜景はわれを酔(え)はしむ。雨夜(あまよ)の月に啼(な)く時鳥(ほととぎす)、時雨(しぐれ)に散る秋の木(こ)の葉、落花の風にかすれ行く鐘の音(ね)、行き暮るる山路(やまじ)の雪、およそ果敢(はか)なく頼りなく望みなく、この世は唯だ夢とのみ訳(わけ)もなく嗟嘆(さたん)せしむるものの悉(ことごと)くわれには親(した)し、われには懐(なつ)かし。(20)

癒しの散文。
でも、逃避して、癒されていれば良いってもんでもないでしょ。永井荷風に何があったのか知らないけど、もっと戦わなきゃ。すがれるものが何かある時点で、甘いなぁ、と思う私なのでした。浮世絵好きは必読。

江戸芸術論 (岩波文庫)

江戸芸術論 (岩波文庫)