飲み会(前)

今日は一時的にひどく落ち込んだ。話の通じない相手になんとか話しようと努力したのだが、相手があまりにも独善的なのでまったく話が通じない。こういうときは無視をすればよいのだろうが、別の世界を生きる人間というわけでもないので、ちょっと無力感を感じてしまった。朝日新聞ではないが、言葉は無力だ。私が相手をバカだと思っているように、相手も私のことをバカだと思っているはず。不毛なディスコミュニケーションだ。
こういう相手に出会ってしまうと、そもそも小難しい小理屈をこねくりまわして生きている自分が、何のためにそんなことをやっているのか、バカバカしく思えてくる。いろいろ考えたって、結局伝わらない相手には伝わらないのだ。ほんとどうでも良いや、って気分になる。永井荷風が浮世絵に浸りたくなる気分がすごくよく分かる。
といっても、なぜ私がいちいち小理屈を編み出しつつ生きているかというと、なんとなくすべてのことに積極的な意味を見出すことが苦手だからで、そういう意味では、永井荷風みたい(もどき)な気性だからこそ、かえって理屈で意味づけなくちゃならないのかもしれない。
北斗の拳』のマンガで、修羅の国に行ったケンシロウが、無重力のなかで戦わされることを余儀なくされたとき、自分の体を回転させる遠心力によって、自分の位置を確保した場面があって、私はそれに深く感動したことがあった。まあいってみれば、そんな感じで、自己確認をするだけのために、いちいち妙なことを考えなくちゃならない、厄介な人間なのかもしれない、私は。ある意味、脆弱なところがある。
だもんで、無重力のなかをめちゃくちゃエネルギーを使ってわざわざ自分の体を回転させているあまりの不効率さに気づくというようなことが、今日みたいなちょっとしたすれ違いのなかで、ときに気づかされるといったことがある。
まあ、あとでさんざん悪口いったから、今はすっきりしましたけどね(悪口すぎて、とてもその人には聞かせられないけど。)。BCでも発散。
せどりインテリゲンチャさんのブログが復活した。