黒澤明『酔いどれ天使』(1948)

(98分・35mm・白黒)焼け跡の混乱の中、重度の結核にかかったやくざ(三船)と、男を救い出そうとする呑んべえの貧乏医者(志村)の交流を描いた黒澤明の名作。撮影にあたっては、東宝砧撮影所に作られていた闇市のセットを駆使、やくざとその兄貴分(山本)の死闘を捉えたシーンも名高い。
’48(東宝)(撮))伊藤武夫(監)(脚)黒澤明(脚)植草圭之助(美)松山崇(音)早坂文雄(出)志村喬三船敏郎、山本禮三郎、木暮実千代中北千枝子千石規子笠置シズ子進藤英太郎、清水將夫、殿山泰司久我美子飯田蝶子、生方功、谷晃、堺左千夫、大村千吉、河崎堅男、木匠久美子、川久保とし子、登山晴子

双葉十三郎氏。

戦前の『姿三四郎』(43)に続いて監督黒澤明の力を天下に示したハードボイルド風のヒューマニズム・ドラマ。メタン・ガスの吹き出すような湿地近くのスラムで診療所を営むアルコール依存症の医師(志村喬)と、けもののようだが悪党になりきれない肺病のヤクザ(三船敏郎)の交流――。今からみればありふれたパターンだが、当時としては非常にうまく作られていて、三船のやせたギラギラする顔つき、白ペンキにまみれた恰好悪いアクションなど迫力十分だった。黒澤と三船の二人が出会わなければ、後の『野良犬』(49)も『七人の侍』(54)も『用心棒』(61)も生まれなかったかもしれないわけで、その意味でも記念碑的作品だった。

正直、そこまで感心しなかった。封建的な煮え切らないヤクザの世界と、志村に象徴される理性とヒューマニズムの世界が対照されている。久我美子ヒューマニズムに向かう希望の世界の住人とされている。それは良いのだが、三船の生きるどん底の世界のリアリティーが十分には生々しく伝わってこなかった。ストーリーもまどろこしい。
ただし、戦後民主主義とシンクロナイズするある種の清新さのようなものがあったのかもしれないとは思った。