『社会』

理屈が多くて難しいけど、わりと面白かった。

  • ベンヤミンは『暴力批判論』において神的暴力を擁護しつつ神話的暴力を否定した。この背後には、議会制民主主義を維持するためノスケがローザ・ルクセンブルグに行使した暴力が読み解かれなくてはならない。同じくマルクス同様、議会制民主主義をブルジョワイデオロギーと見なしたレーニンルクセンブルクの対抗関係にも注目。
  • ルソーの『人間不平等起源論』と『社会契約論』の間には「社会的なもの」の導入という意味で正反対ともいえる断層が存在している。しかし『社会契約論』におけるルソーが過剰な統合による自由という逆説を招くのは、「社会的なもの」の領域で平等を目指すことが原理的に(他者との「比較」を導くがゆえの)「ルサンチマンからの脱却」というニーチェ的課題を呼び寄せてしまうためである。「社会的なもの」の思考は、自由と平等の深刻なジレンマと不可分の関係にある。
  • 「社会的なもの」はフランスで概念化されたが、英語圏ではロック『教育に関する考察』(1963)で始めて「social」の語が使用され、またドイツでは遅れて19世紀にブーフホルツがゲゼルシャフトを強調した。ブーフホルツは革命的自由主義思想の持ち主であり、彼に対してはA・ミュラーを対置したマンハイムやその反ユダヤ主義性を指摘したアレントが批判的に取り上げている。ドイツでは多元的な「社会概念」を唱えたモールなども現れたが、トライチュケ、L.シュタインらによる社会国家→国家社会主義の系譜が優勢となった。

↑正確だとは限らないので注意。