庵野秀明『劇場版 新世紀エヴァンゲリオン DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に』 (1998)

公開:1998年 監督:庵野秀明
主演:緒方恵美林原めぐみ宮村優子三石琴乃立木文彦清川元夢山口由里子麦人
社会現象にまでなったテレビシリーズの最終話を映画で再び作り直すという意図で制作された『新世紀エヴァンゲリオン』の劇場版。テレビ版の(第壱話〜第弐拾四話)からなる「DEATH」篇に新たに制作された「REBIRTH」篇が追加された『DEATH&REBIRTH』の「DEATH」篇を再編集した『DEATH(TRUE)2』。これにテレビシリーズ最終2話の、もう一つのラストを描く『Air』『まごころを、君に』を連結させた3部構成。人類補完計画が発動し、シンジ、綾波、アスカ、それぞれが運命の時を迎える。物語は完結したが、そのエピローグに対しては再び賛否両論が百出し、大きな話題となった。

テレビ版26話を見たわけでもないし、前半のありえない速度の編集に私がついていけるはずもなかった。アニメの歴史自体も良く知らないので論評不可能。
とはいえ後半からは何となく話がつながり出し、けっこう壮大なシーンやエロいシーンもあったので、それなりに満足。最後のオチは「童貞期の少年の悩み」みたいな感じで身に覚えがある。つまり、「かわいい女の子は素敵だが、そういう女の子と相思相愛になるというのは一体どういうことなのか?またどうやってそんなことが起こりえるのか?」という疑問が、「女の子に受け入れられるはずもない自分のような男が、受け入れられたいと望んで告白などという分不相応なことをするのは滑稽なことだろう、世界はきっとそれを笑うだろう」という強迫的な感情へと進化し、頭のなかで「世界=女=恐怖」という自縄自縛図式が完成して一歩も前に進めなくなる、あの精神状態である。
「闘うのか、それとも退却するのか」という「もてない男」の心情が90年代の世界観とどの程度のシンクロ率を持っているのかは分からないが*1、アニメ業界における画期性などの詳しいことは、東浩紀『郵便的不安たち♯』(朝日文庫)を参照してね。
参考までにちょこっとだけ筋の部分を引用。

……シリーズ後半の筋は複雑で要約が難しいので、ここでは断片的な雰囲気だけ伝えておこう。まず、エヴァが、実は各操縦者の母親の「魂」を投入し人工的に作られた使徒であることがほぼ明らかになる。シンジたちは母親の胎内で闘っていたわけだ。第拾八話では、シンジのエヴァは、シンジの意思から離れ彼の親友を目の前で不具にしてしまう。第弐拾弐話ではアスカが使徒に「精神汚染」され、幼年期のトラウマを暴かれてのち俳人となる。第弐拾参話ではレイがシンジを守るため自爆し、同時に彼女がシンジの母の不完全なクローンだったことも分かる。そして今度は第弐拾四話では、孤独になったシンジはひとりの少年と擬似同性愛的な関係を結んでしまい、さらにその少年が実は使徒だと判明、結局は殺すことになる。……(206−207)

使徒」というのは宇宙のどこからか仕掛けられる攻撃のことらしいが、「エヴァ使徒である」という意味がまったく理解できない。「敵は自分だ」みたいなことか?



*1:本当はちょっと分かるのだが…。