青山真治『Eli, Eli, Lema Sabachthani?』(2005)

監督、脚本:青山真治 音楽:長嶌寛幸
出演:浅野忠信 宮崎あおい 中原昌也 筒井康隆 戸田昌宏 鶴見辰吾 エリカ 内田春菊 眞野裕子 杉山彦々 古賀俊輔 斉藤陽一郎 川津祐介 岡田茉莉子

【story】エリ・エリ・レマ・サバクタニ
西暦2015年。日本をはじめ、世界中に正体不明の致死ウィルスが蔓延。メディアはそれを<レミング病>と呼んだ。絶望感に満ち、人々が希望を見失いかけた世界で、唯一の抑制方法が探し当てられる。それは、日本のあるミュージシャンが奏でる‘音'を聴くこと。彼らの演奏はどこで行われ、どんな音を響かせるのか?果たして彼らの‘音'は発病を抑えられるのか……。


映画終了後、おばさん達が「この映画、分かる人いるのかしら?」と話していたけれど、たしかに高度な象徴性を持った映画である。私はインテリなので、だいたいの所は飲み込めた。
このウィルスは絶望に取り付かれた純粋な人たちに感染する。「まともな人たち」が次々と死んでいくのだ。「まともな人たち」にとって「まともでない社会」は生きるに値いしない。それが自死が導かれる象徴的理由だ。
だが、感染者が生き延びる術がただ一つある。それはあるバンドのノイズに身体をさらすという方法だ。ノイズを身にまとうことで「まともでない社会」と「まともな自分」の間にバリアが築かれる。ノイズが緩衝材の役割を果たすのである。
しかしこの緩衝材は極めて脆いものでしかない。絶望はすぐに感染者を襲ってくる。だがノイズを自覚的に操作可能なものへと飼いならすことによって、人々は何とか生きていくことができるのではないか?ならば、そこには希望も存在するはずではないか。
映画の中で「ノイズ」は「音楽」そのものである。このことが意味するのは、世界が「絶望」と「希望」の両面を合せ持った両義性を帯びているという事実である。また、だたっぴろい不毛な原野が同時に清清しい開放性をも帯びていることは、「ノイズ=音楽」と同様の象徴的構図を意味している。以上、解読終わり。
難解だが、非常に映画的。おすすめ。