タルコフスキー『惑星ソラリス』(1972)

『СОЛЯРИС / SOLARIS

1977年、日本公開時のチラシ
[スタッフ]原作:スタニスラフ・レム「ソラリスの陽のもとに」/脚本:アンドレイ・タルコフスキー、フリードリヒ・ガレンシュテイン/撮影:ワジーム・ユーソフ/美術:ミハイル・ロマージン/音楽:エドゥアルド・アルテミエフ
[キャスト]ハリー:ナタリア・ボンダルチュク、クリス:ドナタス・バニオニス、スナウト:ユーリー・ヤルヴェト、アンリ・パートン:ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー、サルトリウス:アナトーリー・ソロニーツィン、クサスの父:ニコライ・グリニコ
1972年/モスフィルム製作/長編劇映画/35mm/シネマスコープ/カラー/165分/2部作 1972年 カンヌ国際映画祭審査員特別賞、国際エヴァンジェリー映画センター賞 配給:ロシア映画社/日本公開:1977年
[解説]
この作品は、スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』(1968)と比肩されるSF映画の傑作で、アンドレイ・タルコフスキー監督の名を不朽のものにした。ポーランドのSF作家スタニスラフ・レムのベストセラー長篇「ソラリスの陽のもとに」の映画化であるが、"未知なるもの"と遭遇して極限状況に置かれた人間の内面に光をあて、「愛」と「良心」をめぐる道徳・哲学的な問題を提起。深い洞察と独特の映画表現によって、映像による思弁ともいうべきタルコフスキーの世界を構築している。そして、これまでのSF映画に見られない新たな地平を拓いた画期的作品として、多くのファンを今なお魅了し続けているのである。
ヒロインのハリーは、これが初の主演作となったナタリヤ・ボンダルチュクが好演、国際的名声を得た。クリスにドナータス・バニオニス(『ゴヤ』1972他出演)、他にユーリー・ヤルベット(『リア王』1971他)、タルコフスキー作品の常連のアナトーリー・ソロニーツィン等ベテランが出演、この重厚なドラマを支えている。
日本では1977年4月、岩波ホールでロードショー公開され、さらに翌1978年7月より銀座・日劇文化で2ヶ月にわたって続映され、ソビエト映画の興行の困難な時代にあって、エポックメイキングな事件となった。
なお、原作にはない"地上のプロローグ"の未来都市のシーンは東京で撮影され、1972年夏、タルコフスキー監督はロケ撮影のため来日した。東洋哲学わけても日本の中世思想に共感を示したタルコフスキーだが、この来日が最初にして最後となってしまった。
[ストーリー]
映画はプロローグ(地上の現実)とエピローグ(惑星での未来)を持つ2部作。
惑星ソラリス、それは宇宙のかなたの謎の星で、生物は存在は確認されないが、理性を持った有機体と推測されるプラズマ状の“海”によって被われていた。世界中の科学者達の注目が集まり、"海"と接触しようとする試みが幾度か繰り返されたが、いずれも失敗に終った。そして、ソラリスの軌道上にある観測ステーションは原因不明の混乱に陥ってしまっていた。
心理学者クリスが原因究明と打開のために送られることになった。美しい緑に囲まれた我が家を後に宇宙ステーションヘと飛び立つクリス…。
しかし彼を待っていたのは異常な静寂と恐しい程の荒廃だった。物理学者ギバリャンは謎の自殺を遂げ、残った二人の科学者も何者かに怯えている。そんなある日、突然クリスの前に、すでに10年前に自殺した妻ハリーが現われた。
彼女はソラリスの"海"が送ってよこした幻だった。"海"は人間の潜在意識を探り出してそれを実体化していたのである。妻の自殺に悔恨の思いを抱いていたクリスは、遂には幻のハリーを愛するようになるが、科学者としての使命感と個人的な良心との相剋に悩まされる……

流れにそよぐ水草。沼。草むら。雨。濡れるコート。コーヒーカップ。高速道路。海の小波。腕の注射跡。破られるドア。若き母。犬。炎に焼かれる書類。妻の写真。階段で跪く息子。