今村昌平『楢山節考』(1983)

(130分・35mm・カラー)老人を山に捨てる「姨捨て」伝説に基づく同名小説が原作。生に満ちた山村で、姨捨ての時期を悟る老婆と、戸惑いつつも老婆との別れを受け入れてゆく家族たちの姿を通して生の切なさが語られる。生き物が生き物を食べたり、生殖したりするシーンを挿入することで、木下恵介の『楢山節考』(1958年)とは異なるリアリズムを加味しようと試みた、と今村は語る。
’83(東映=今村プロ)(原)深沢七郎(脚)今村昌平(撮)栃沢正夫(美)稲垣尚夫(音)池辺晋一郎(出)緒形拳坂本スミ子左とん平、あき竹城、小沢昭一常田富士男深水三章倉崎青児、高田順子、倍賞美津子殿山泰司樋浦勉ケーシー高峰小林稔侍、清川虹子横山あきお三木のり平辰巳柳太郎

面白かった。近代社会とは異なる民俗社会のコスモロジーが、生き物の生態などを挿入しつつ、今村監督らしく丹念に描かれている。村の掟を破った家族が生き埋めになるシーンが凄かった。トマス・ホッブズもビックリのゼロサムゲームの村社会。食物をめぐる掟は厳しい。掟を破った者は共同体から爪弾かれるが、爪弾く方だって、気持ちの良いわけでは当然ない。無言で生き埋めにした穴の土を踏みしめる村人たちの姿が、村の厳しい生活を物語る。そうした社会で、姥捨てを望む老婆は、厳しい現実と一体のものとしてある村のコスモロジーをただただ信じている。死ねばそこで皆が会えるという姥捨て山は、実際には白骨と腐乱死体の散らばる凄惨な場所でしかないのだが、しかし、老婆の訪れとともに雪が降り始め、そこは一面の銀世界へと変貌していく。その神々しい情景の現れは、厳しい村の現実にも、やはり確かに神話的世界としてのコスモロジーが生きているのだという奇跡的な確信を観客に喚起させる。
なお、「開巻から歌舞伎の舞台もどきで、色彩セットは様式化され音楽も日本調、民話的ムードで幻想的な美しい画面で展開していく」(双葉十三郎)と評される木下恵介監督、田中絹代主演の『楢山節考』も、だいぶ前に観てえらく感動したことがある。今村作品もちがった作風だが拮抗しえている。あと、倍賞美津子は臭い村の男にもセックスさせてあげれば良かったのになぁ、と思った。