鹿島茂の吉本隆明論

本屋で貰った「月刊百科」6月号(平凡社のPR誌)、鹿島茂吉本隆明1968」の連載を読む。吉本の転向論について。吉本によると、転向には2パターンがあるらしい。第一のタイプは、「思考法の中に封建的な意識の残像があるがゆえに、かえって、日本の社会を理にあわぬ、つまらないものと見なしてしまって、社会の現実を見てみないふりを決め込むタイプ」(21)。佐野学と鍋山貞親が典型。第二のタイプは、日本社会を見ない点では第一のタイプと共通するが封建的な意識が存在しないタイプで、これは小林多喜二宮本顕治宮本百合子、蔵原惟人など「非転向」組に見られる。
吉本はこの第二のタイプに当てはまる人々を「非転向的『転回』」として、やはりある種の「転向」に他ならない人々であると位置づける。吉本自身のまとめの言葉を重引しておこう。「わたしは、佐野、鍋山的な転向を、日本的な封建制の優勢に屈したものとみたいし、小林、宮本の『非転向』的転回を、日本的モデルニスムスの指標として、いわば、日本の封建的劣性との対決を回避したものとしてみたい。何れをよしととするか、という問いはそれ自体、無意味なのだ。そこに共通しているのは、日本の社会構造の総体によって対応づけられない思想の悲劇である」(「転向論」『藝術的抵抗と挫折』)。
このようにして吉本は、戦中派としての自覚に立ち、日本の知識人の――近代日本の脆弱性そのものから由来する――脆弱性を暴くところから自身の思想を出発させた。鹿島によれば、「都会・地方」(出身)と「インテリ家庭・非インテリ家庭」(出身)という四象限図式を考えたとき、吉本が「都会・非インテリ家庭」の象限に属していたことが、このような思想を生んだ条件として考えられるのだそうだ。インテリ家庭出身ではないが、大学に行くだけの資産はあった。そこからインテリ批判の視点が芽生えた、ということである。
いきなり告白モードであるが、じつは私もこれと良く似た視点を共有していると感じることが多い。私もたいがい「お坊ちゃん」だが、それでも「こいつは本当にお坊ちゃんだなぁ」と感じる経験がこれまで多々あった。過去にはそういう人々をしつこくやっつけたりもしたものであるが、そういう体験が自己形成に与った部分はけっこう大きくて、知識人批判に冴えを見せる呉智英が好きだったのも、そういう訳だったのかもしれない。(今では、「お坊ちゃん」の中に時々「本物のお坊ちゃま」がおり、これはやはりあなどれないぞと感じることの方が多いので、上記のようなこだわりは薄れてしまった。でも、自分の属する学問的ディシプリンは、「お坊ちゃま」向けのディシプリンとは言えず、宿命を感じたりもする。)
で、吉本思想の方に戻ると、しかし吉本は詩人として自己の実存的根拠に沈潜する方向性で思考を進めていったので、これは近代思想の圏内に彼を閉じ込める結果になったのでは、と疑問に思ったりもする。あと、四谷出身で実は大衆を良く知っていた丸山眞男に関しては、吉本は明らかに批判に失敗したのではないだろうか?