『滝山コミューン一九七四』

話題作だし、話題作となるだけの面白さはある。今後深められるべき重要な知見がいくつも存在することを認めた上で、ここではあえて私なりの批判点をメモしておきたい。
1.「滝山コミューン」という題名から想像されるほどの普遍性をもった社会現象ではないのではないか?全生研の影響を受けた教師、(3年間担任が変わらなかったことによる)実践が徹底されたクラス、団地という均質な共同体(革新イデオロギーの浸透)、という3つの特殊条件によって「滝山コミューン」は生じたわけだが、これはあくまで特殊な条件にすぎず、また実質的に「コミューン形成」されたのは、著者が6年生時の7月(林間学校)以降の半年間でしかない。
2.くわえて、政治の季節後も「団地」においては政治的な熱っぽさが存続していた、とする著者の命題は正しいだろうか?主婦層の子供の教育に対する関心と当時の革新政党の進出が結びつき、進歩主義的な政治勢力が形成された、と見るわけだが、これを実体的な政治勢力と見ることには違和感が残る。たしかに「学校の持つ啓蒙機関としての威信の高さ」と「親の教育関心の高まり」がドッキングされて「滝山コミューン」が形成されたことは確かであるが、これは「教育的関心」が一次的であり、「政治的関心」は二次的な位置を占めるにすぎなかったのではないか?
3.上記に付随して、団地住民と「滝山コミューンの教育実践」との結びつきも具体的にはよくわからない。全共闘世代の理想主義的な若い教師が先走って行った実践であるが、「団地住民は革新勢力に属する教師を、自らの革新的な政治的意識ゆえに支持したのだ」とはあまり考えられない。実際には「水道方式」の教育的効果への期待、といった実利的な関心が先行していたのであって、政治的関心は背後に控えていたにすぎないのではないか(2と同じ主張)。だとすると、これは単なる特殊事例ということになるのではないか(3と同じ主張)。
4.そもそも集団主義的教育をどのように評価できるか?もちろん著者はきわめて否定的に評価するわけだが、実際にはもっと慎重に検討されるべきだろう。というのもマカレンコのソビエト全体主義教育理論や、熾烈な班競争(「ボロ班」の確定、「追求」)の実態、「民主集中制」といったイデオロギー的偏向はたしかに恐ろしく聞こえるが、これらはあくまで理念型であって、極端な事例でしかない。それに実践主導者がどれほどイデオロギー的背景を持っていたとしても、それが現場で活用される場合には、必然的に別の文脈が介在してくる。単純にイデオロギー的な偏向教育だとは断定できない。クラスが班に編成される場合、それがクラス運営にポジティヴな意味をもつことは当然ありえるので、行き過ぎるとダメだが、活用の余地がないとはいえない。
5.本当に集団主義的教育は子供の感受性を圧殺するのか?著者は自分の苦しかった体験を描いているが、それは現象の一面でしかないのではないか?本書では、若い教師が3年目も同じクラスを担当することが決まったとき、子供は喜んでそれを受け入れたと書かれている。集団的な高揚感を味わった子供にとって、それはある種の充実として受け止められたのではないか?もちろん、そのようなアホな子供ばかりではなく、原氏のような賢い子供もいて、そのような子供にとっては悲惨であったことは間違いない。しかし、賢い子供は大人になってからその欺瞞に気づくのだし、それに気づく以上は、もともとの感受性が損なわれたとはいえない。小学校の教育ごときで、子供の感受性が左右されてしまうものだろうか?(ましてや滝山コミューンが特殊事例にすぎないのだとしたら、さらに緩やかな集団主義的教育を原理的にどのように評価すべきかは、基本的にオープンな検討課題となろう。)
あとは「団地」をどう位置づけるかという問題にも、やや疑問を感じたけれど、まあこのくらいにしておこう。いずれにしても「日教組はこんな偏向教育をしてたのね」という素朴で無理のある一般化を誘発しそうな本だけに、これから読む人は注意してください。