今日はわりと不本意な一日だった。
あと上記コメントについて補足。
私が小学生のときはもちろん、小学校の集団主義的傾向は非常に嫌だと感じていた。運動会の応援合戦とかも意味不明だったし、好きではなかった。いちど学級会で、「廊下を走る人をなくすにはどうすればよいか」という議題が挙げられて、「曲がり角の全部にミラーを設置したら良い。そうすれば、たとえ廊下を走っても、危なくない」と答えたら、「そんなことが実際に出来ますか?」と教師に詰問されたことがあるが、結局「みんなで走らないように気をつける」という結論に落ち着いたあの議論は、不毛で集団主義的だったなぁといまだに思い返したりする。私の発言に皆が喝采したので、教師のシナリオが崩れちゃったんですね。
小学校ではなく進学塾が息抜きの場だった、二つの自己を常に使い分けていた、というのも原氏と同じだったかもしれない。塾では偏差値一辺倒で分かりやすかったけれど、学校では予定調和的に演技しなければいけなかった。私の場合、「変人」というポジションを獲得していたので、「同調圧力からの逸脱の許されうる範囲」をつねにモニターするストレスがあり、これは同調圧力に常に屈する必要はない利点をもちつつも、両刃の剣でした。
とはいえ、私がもし小学校の教員になったら、集団主義的な統率テクニックを駆使して憚らない。教育関係が必然的にある種の権力関係を含むことは自明です。ただし、担任教師を定期的に変えてあげるなどの当然の配慮は必要。
佐藤亜紀さんのブログに面白い書評があります。