フランソワ・トリュフォー『私のように美しい娘』(1972)

公開:1972年 監督:フランソワ・トリュフォー 主演:ベルナデット・ラフォンクロード・ブラッスール、シャルル・デネル、ギー・マルシャン、アンドレ・デュソリエフィリップ・レオタール
社会学者スタニスラスは、「犯罪女性」という論文を書くべく、ある女囚を助け出す。彼女が新たな人生を歩みだせるよう画策するのだが…。男をたぶらかし、悪態をつく、お色気たっぷりの奔放な娘を演じるのはベルナデット・ラフォン。『恋のエチュード』が夜なら本作は昼とのトリュフォーの言もある、あばずれ娘の陽気な犯罪コメディー。

スピーディーでとことん楽しい秀作。ベルナデット・ラフォンの下品なしゃべくりの説得力が凄い。今村昌平『にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活』をちょっと思い出したが、むしろヴィスコンティベリッシマ』のオカアチャンの感じが近いかもしれない。
飲んだくれのダメ夫も、スター歌手も、害虫駆除業者も、弁護士も社会学者も、男の頭の中にあるのはセックスだけ。理性が勝っているだけに、下半身の欲求に屈するときの情けなさが際立つインテリ学者の描き方が楽しい。吉行淳之介のエッセーで、女の子に嫌がられない触り方、という話題があったと記憶するが、吉行作品が映画化された黒木和雄『夕暮れまで』の伊丹十三みたいに、インテリ男はコトを進めなければならない。
昨日、山田本を読んだからだが、本屋の主人のエコーの聞いた回想場面から物語がスタートするのは、やっぱり『市民ケーン』の影響なのかな?と思った。女囚が脱走するのも『大人は判ってくれない』のラストシーンを彷彿させるシーンだったが、今度は走る場所が広大な畑だった。刑務所のまずい飯を吹き出すというのも『大人は判ってくれない』と共通するシーンで、これもトリュフォー自身の経験がもたらした定型的表現なのかもしれない。