相米慎二『ラブホテル』(1985)

(88分・35mm・カラー)『Love Letter』などの岩井俊二作品をはじめ、手持ち撮影などに独自の感覚を発揮して1990年代の撮影界をリードした篠田昇の劇場用デビュー作。相米慎二監督唯一のロマンポルノ作品で、極めて短い撮影期間で作られながら、流麗な長回しキャメラワークが男女の深い情愛を抉り出す。
’85(ディレクターズ・カンパニー)(撮)篠田昇(監)相米慎二(脚)石井隆(美)寒竹恒雄(音)林大輔(出)速水典子、寺田農、益富信孝、中川梨絵、志水季里子、飯島大介、小池幸次、石川慎二、伊武雅刀木之元亮尾美としのり佐藤浩市

相米慎二はやっぱり良いなぁ、というのが感想。手ぶれOKの相米作品だが、この作品も心地よい手ぶれ感が出ており、たしかに岩井俊二作品につながる感覚を覚える。構図も端正でよい。
「不純の自覚による無垢の確保」という、アンビバレンスに満ちた「魂の救済の可能性」がテーマとなっている。『セーラー服と機関銃』が少女の成長を通じて「不純を引き受ける決意=成熟への意思」を描いていたとすれば、本作品は「成熟の後にも純粋な魂(愛)はありえるか」という問いへと立ち向かっている。「成熟」は「無垢への断念」をつうじて到達されるが、「不純でしかありえないことの自覚」(=成熟)によってのみ、「無垢な純粋さ」は意識次元で保たれる。
ラブホテルで性的な暴力に及んだ男と、男からの暴力を体験することになった女。男は借金苦で死のうと決意していたが、女の姿を見て生きる希望を取り戻す。タクシー運転手となった男が女と再会した二年後、女は売春を止め、不倫に悩むOLとなっていた。しだいに女は男に心を寄せ始める……。
言わずもがなだが、階段で二人の女がすれ違うラストシーンにおいて「桜」が舞うのは、不純さを自覚した女がそれでも追い求めてやまない「愛」(純粋性)を「桜」が象徴するからである。男は消える。生身の男は純粋性を貫徹できないからである。純粋な愛の挫折を経験した元妻(男の前でやくざに犯される)、「この人ならきっと」と考えている女(売春・不倫経験あり)、この二人は交わした視線のなかに、お互いの境遇の類似を見てとる。せつない。