『先生とわたし』

昨晩は、就寝前、四方田犬彦『先生とわたし』(新潮社)を読んだ。面白くてスルスル読めちゃう本だが、疑問も残った。四方田の先生、由良君美(ゆらきみよし)が過度に伝説化されている気がする。
由良は英文学者として構造主義的手法を取り込み、ニューアカ以前の越境的な知のダイナミズムの発信源となった。「せりか書房」(久保覚)を中心とする知のネットワークも文化史的に見てきわめて興味深い。しかし、由良が慶応出身者として東大に抱いていたコンプレックスとかは、本当はつまらないことなのに、あまりに劇的に描かれすぎているのではないか。
たしかに由良は博学な人だったんだろう。でも、東大至上主義に対して反感を抱いたり、拘りを感じている時点で、じつは「小者」だったんじゃないの?と私なんかは思ってしまう。パイプを燻らせたり、イギリス風の紳士然としているのも、なんだか自意識過剰でみっともない。そういう先生に集う東大生たちも、教養主義的ないやらしさを隠し持っているような気がして仕方がない。
それに文学研究に方法論を持ち込む、という志は必要だし立派なことだと思うが、それが文学作品に神話的論理と通底する「構造」を見出す、という方向性をとるのだとすれば、「それって方法論なの?」と思わずにはいられないのも事実だ*1。既存のアカデミズムでは自由な発想が出来ないっていうのは、まあそういう学問分野もあるんだろうけど、「負け犬の偏見」なんじゃないの?と思ってみたりもする(「教養主義的にいやらしい」のは、もしや私のことか?)。
まあでも実に興味深い本なので、オススメなのはオススメ。「インテリ同士の自意識の鍔ぜり合い」みたいなのが好きな人には、超おすすめ。

*1:「テクスト分析」とか、そういうのは全然必要ないですね。正統的人文知への反抗を企てる現代思想系知的エリートが、最も人文主義的教養を内面化しているというのは、ちょっとした「ギャグ」じゃないか、と言ったら、これは言い過ぎですかね?