『移りゆく「教養」』(NTT出版)

軽い気持ちで読み始めたら、深い内容に感動してしまった。すばらしい本ですね。
第一章は読み物風だし、第二章も教養主義研究の総論といった風情だが、第三章からの叙述の深みに思考をちくちく刺激された。唐木順三の大正教養主義批判を取り上げ、次に三木清をもってくるところが、鮮やかというか憎いというか。

  • ハイデガーのもとで学び、ガダマーやカール・レーヴィットらと交遊のあった三木清は、日本の教養主義の問題意識をはるかに超えて、ドイツ教養思想の根本問題まで視野を広げていた。
  • 人格的な高みをめざす(旧い)教養理念は、大衆化に根ざす危機のなかで新たな読みかえを迫られており、それはガダマーがアリストテレスを参照しつつ展望した「政治的教養」の方向を取るべきものだった。
  • 日本の伝統的な教養主義においては、政治的教養の側面が省みられることはなかった。
  • 異質な個人間でのコミュニケーションの重要性が高まる現代では、社会の現実にふれる「共同的感覚」と賢慮(ガダマー)が必要とされている。
  • ブレア政権下で政策化されたシティズンシップ教育、『人間性の教養』で強調されるポイントもそこ。
  • 異質な他者との想像力をもった対話は、「社会のフィクション性」という事実からも要請される。
  • 世界を深く理解するための書物との対話は、そのために必要な経験。
  • 今日の教養は、そのような視点から再定義されうる。

惑溺を避けた福沢諭吉丸山真男が継承し(「他者感覚」)、その精神を今また刈部先生が語り直しているようにも読める。人格主義的な教養主義がもつ陥穽の指摘には大いに共感。文献リストのセンスも、本好きの人ならかなり楽しめるだろう。読書系ブログの人たちにも超おすすめ。

移りゆく「教養」 (日本の“現代”)

移りゆく「教養」 (日本の“現代”)