60年安保について考えていたのだが、警職法改正問題の重要性をあらためて痛感する。根本的には1957年のスプートニック・ショックによるアメリカの対日政策の修正があるわけだが、国内的には基地問題に発する安保改定要求が潜在的に存在し、社会的にも大衆社会化の進展があった。58年の総選挙において保守政権が安定化し高姿勢に転じた岸は、勤評問題を視野に入れつつ、警職法改正に乗り出す。この法改正案が大衆の自由主義的ムードに水を差すとともに、社会党議員に治安維持法を連想させ、反対運動が盛り上がった。無論、安保改定は9条問題と抱き合わせで考えられるべきであり、根本的な不透明性を孕んでいたわけだが、その不透明性はともかく集合的な政治運動が展開されたことには、警職法改正問題という媒介要因が存在したと考えられる。――と頭を整理してみる。