マキノ雅弘『殺陣師段平』(1950)

(104分・35mm・白黒)金も学もなく、髪結いの妻・お春に支えられながら、歌舞伎仕込みの殺陣一筋で生きてきた市川段平(月形)が、新国劇澤田正二郎(右太衛門)の目指す新しい剣劇に魅せられ、生涯をかけて挑む。二度目の結婚に失敗したばかりのマキノが思い描く、過剰なまでに理想化されたお春を、山田が生身の女として見事に演じた。マキノは、本作から「正博」を「雅弘」に改名。
'50(東横映画)(原)長谷川幸延(脚)黒沢明(撮)三木滋人(美)堀保治(音)大久保徳次郎(出)市川右太衛門月形龍之介山田五十鈴杉狂児、月丘千秋、進藤英太郎横山エンタツ加藤嘉、原健作、障沛シ錦之助

フィルムセンターのマキノ特集。明日からは『次郎長三国志』が始まる。
それにしてもマキノ節である。月形龍之介山田五十鈴の夫婦のかけ合いなんて明らかに感傷過多なのに、やはりめちゃくちゃ素晴らしい。お母さんみたいに「よしよし」と優しくて、しかもつっけんどんとした茶目っ気、可愛らしさがある。大阪弁の人情濃やかな会話が延々と続き、ややテンポが遅く感じられるけれど、それでもこれはマキノ映画の魅力と言うほかないものだ。山田五十鈴の「お春」が死に、雪が降るシーンも、マキノの美意識が全開していた。
しかしこれは現実と地続きのものであって、『マキノ雅弘自伝』によると、黒澤明がこのホンを書いた後、離婚直後のマキノは山田五十鈴(ベル)にこう迫られたのだそうだ。

(五十鈴は)……座り直して膝を進め、「先生はどんなお嫁さんが欲しいの。こんな奥さんだったら、俺は良い亭主になれたんだ、子供を泣かさずに済んだんだというホンを書いて下さい。あんたが殺陣師段平になって、妾が女房になって、しかも共稼ぎよ。原作を読んで、黒澤さんのホンも読んで、それであんたのホンをつくればいいじゃないですか」
私はベルさんの意気ごみにたじたじとなって、
「書けないよ、ベルさん」
「書ける」
「無理だよ」
「無理だから、日本中の演出家で先生しかやれないのよ。くやしくないの、こんな女房が欲しいって若い時から夢にしていたのに、全部的はずれで、気狂い呼ばわりされて――。あんたの弟子だと自慢していた五十鈴が可哀相じゃない?今の妾には亭主があるけど、先生の理想の女房の一部にでもなれるなら、妾でよけれりゃ、今の亭主と別れてあんたの女房になってあげてもいいのよ――でもホンが出来ないようじゃ、おことわりよ。ごめんなさい、生意気言っちゃって――」
私はもう何が何だか解らなかった。ただ解ったことは、山田五十鈴が私に「生きる」ことを声をからして言ってくれたことと、彼女の「情け」の嬉しさだけだ。
私は、そっと五十鈴の顔をのぞきこみ、小さな細々とした声で言った。
「やってみようか。ベルさん――」
五十鈴は私の手を握ってくれた。(下巻:310−311)

ていうか映画のまんま。絶対脚色されているわけだが。
ともあれ最後、段平がアル中になりながらも国定忠治の殺陣を付け、しかもそれを伝えに娘を市川右太衛門の所に行かせるシーンでは、グズグズの湿っぽい展開でありながら、情感のツボをグイグイ押されまくったのであった。娘の可憐さも素晴らしい魅力だったし…。マキノ、恐るべしである。