三島由紀夫の言霊

60年安保は「知識人vs岸内閣」だったのが、全共闘運動では「学生vs知識人」となった。60年に運動側にいた丸山眞男が、69年には糾弾される側に回ったというのが、60年代戦後日本の面白さである。戦後民主主義近代主義は60年安保では指導原理となりえたが*1、69年には反近代主義戦後民主主義を否定した。
恐ろしく観念的な全共闘に対して*2、三島が楽しそうな様子を見せているのは、両者が「反近代主義」の立場で一致するからである。
「学生アイデンティティ」の混乱は、アカデミズムの批判的検討を促し、近代知批判が隆盛した。いわば「政治的自由」の次元(60年安保)から、「自己の実存的自由」の次元(全共闘)へと問題が移動したといえる*3
他方、同じくアイデンティティ問題ありきだった三島は、「自己の実存的自由」のために天皇の復活を唱えた。近代合理化に歯止めをかける文化防衛(=天皇復活)は、三島にあって実存的自由を獲得する手段とされた。
両者は「反近代主義」で通底するとともに*4、「アイデンティティが問題であったために、問いの形式が恐ろしく観念的で抽象的になった」という点でも共通している。
最後に三島が「この言霊がどんな風に残るか私は知りませんけれど…」と話していることについては、「youtubeに残ってますよー」と天国にぜひ報告したいものだ*5

*1:だがそれは指導原理となると同時に内部崩壊した。「安保派=革命派」vs「民主主義派=市民派」という隠された対立が存在したためであり、その対立が招来されたのは大衆社会化がすでに一定の成熟を見せていたからだ。

*2:言ってる内容は大したことはない。けど強度があるのでそこは正当に認めてやってよいと私は思う。大人になっても成長していないバカは死んでしまえと思うが。

*3:「関係立てたところから、それを逆転するのが革命じゃねえのか、バカヤロー!!」という全共闘メンバーの言葉。吉本だねぇ。

*4:昨年亡くなった小阪修平が切り出した問いに対し、三島は次のような有名な言葉を残している。「つまりね、天皇天皇と言ってだね、諸君が一言言ってくれれば、おれは喜んで諸君と手をつなぐのに、言ってくれないから、いつまでたってもねぇ、殺す殺すって言ってるだけのことさ、それだけさ。」

*5:これは私が死んで天国に行くという意味ではない。私はまだまだ生きるつもり。美輪明宏と組んでる江原啓之が交信すれば良いのでは?