鶴見

図書館で『論座』最新号の鶴見俊輔の記事を読む。優等生の一番病が近代日本を歪めてきた、東大教授ばバカばかり、との持論に妙に腹が立つ。自分のコンプレックスを近代日本の歪みとして投影するのも、ポスト近代という射程ではもはや有効性をもたない*1後藤新平の孫に生まれ、アメリカの大学に行かせてもらって、「不良少年」というのも、ずれた話だ。
週刊文春』でも、坪内祐三が鶴見が取り上げられていたが、持ち上げ方がやはり気に食わない。鶴見の大衆観には違和感があるし、主体の一貫性を問う姿勢にしたって、自分がスッキリしたいだけのインテリのエゴなんじゃないか、と思わなくもない*2
まあ「不審者」が言ったところで、説得力など絶無なわけだが・・。

*1:「知識人vs大衆」図式が失効した所では「知識人批判」の有効性も失われる。同時に「大衆」をどう考えるべきかという問題こそが重要になる。

*2:一貫してたら、そんなにエライのか?