プレミア文庫

プレミア文庫、読了。超一級品の内容だった。
平和問題談話会の全面講和論は、「一、講和問題について、われわれ日本人が希望を述べるとすれば、全面講和論しかない」(「講和問題についての声明」『世界』昭和二十五年三月号、一月十五日附)という、奇妙に控え目な主張であった。この弱さは、朝鮮戦争の勃発によってさらに不安定なものとなり(北鮮が侵攻!)、それでも「三たび平和について」において継承されることとなった。ここにふくまれた自己矛盾を孕んだ緊張*1を、内部的な視点から相対化することなしに、『世界』的な旧左翼の歴史観を真に問い返すことは出来ない(勿論、旧左翼は凋落した。が、それに代わる歴史観が提示されているわけではない。その故に内在的な相対化が必要なのである)。また、その相対化の作業なしに、60年安保の左翼勢力における内部矛盾の露呈(全学連主流派をどう評価するか?)を、『世界』の自己理解を超えた形で、評価することは出来ない*2
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*1:米国からの独立がソ連への従属を招く(少なくとも精神的な信頼を寄せることを意味する)という矛盾。ソ連との対決は米国への従属を導かざるをえないという矛盾。決断は形式的な論理によっては導かれ得ない。

*2:なぜなら矛盾に目をつぶり理想にコミットするのは、実存的営為でしかないから。平和運動が実存的投企を前提とするものであるなら、究極的には実存の個人的あり様・その深さに応じて、運動は分裂・瓦解する他ないから(実存は運動に集約されない)。60安保で露呈したのはそうした現象だった。『世界』は実存の問題を、政治的有意味性の次元に矮小化する形で運動を規定したし、そうした歴史像を定着させることになった。60年安保を政治次元(運動論的次元)ではなく実存次元で捉える視点は私は不可欠だと考える。