ポスト近代型能力

某雑誌を立ち読みして、再び「ポスト近代型能力」について考えた。そもそも「フォーディズムvsポスト・フォーディズム」といった産業形態の移行図式に<「要求される能力」の変化>をそのまま重ねてよいものだろうか。直感的に違うと思われるのは、「ポスト・フォーディズム」の内実が曖昧でしかないからだ。例えば「第二次産業(製造業)なら創意工夫は必要ないのか?」ということを考えても、その怪しさは明らかである。