実録・春きたる 

「1、2、3、4。4駅です。あっ、ごめんなさい。1、2、3、4、5…5駅。あと5駅です。」
春の雨が降る夜更け、最終間際の電車内で四十歳ほどと思しき男女が身体を寄せあっている。酒を飲んできたらしく、頬が赤く染まっている。
「酔ってるね、僕も酔ってる?」
「酔ってますよ。酔ってるの分かります。」
「酔ってるの、いつ分かった?手、つないできたとき?」
女はうなずき、男の胸に顔を埋める。
「酔うと、人肌恋しくなりますからね。」
女はまた駅を数えはじめる。
「1、2、3、4…。あと4駅、4駅です。」
駅を数える姿勢で、女は自分の頬を男の頬に近づける。男は女の髪を撫でて抱き寄せる。敬語がエロい春の夜である。

駅の数 告げし女の頬染まる 四十路の恋の 春の夜かな
(大意)年若くはない女が、男に駅の数を告げている。恋に落ちた二人は今宵初めて女の家に向うのである。恋は女を輝かすものだが、このことに年の数は関係はしない。女の頬が染まっているのは酔いのせいであろうか、それとも男と意を通じたことの喜び、或いは羞いのせいだろうか・・・。