ジャン=リュック・ゴダール『彼女について私が知っている二、三の事柄』(1966)

(1966年 フランス 90分)監督・脚本 ジャン=リュック・ゴダール製作 フランソワ・トリュフォージャン=リュック・ゴダール 撮影 ラウール・クタール 出演 マリナ・ヴラディ/アニー・デュプレー/ロジェ・モンソール/ラウール・レヴィ/ジャン・ナルボニ
1966年8月のパリ。新首都圏拡張整備計画による公団住宅地帯の建設が行われ、パリは変化を迎えていた。パリ郊外の公団住宅に住む主婦ジュリエットは夫のロベールに隠れて売春をしている。昼間は売春宿を託児所代わりに子供を預け、買物や美容院に出かけたり、あるいはカフェで男を探す。「ル・ヌーヴェル・オブセルヴァトゥール」誌に報じられた実話を基に、ドキュメンタリー風に描いた作品。製作はフランソワ・トリュフォーと共同で行われた。/“彼女”というのは主演のマリナ・ヴラディを指しているわけではなく、ゴダール自作の予告篇ではこのように説明されている。≪彼女とは―、ネオ・キャピタリズムの残酷さ/売春/パリ首都圏/フランス人の70%が所有せぬ浴室/恐るべき団地政策/愛の物理学/今日の生活/ベトナム戦争/現代のコールガール/現代の美の死/思想の交通/構造のゲシュタポ

資本主義システムに取り込まれた団地妻の日常。しかしシステムにはつねに亀裂が走っており、象徴秩序は外部性へと開かれている。システムそのものへの定位を通じ、システムの非自明性を暴きたてる「映画」*1。言語秩序を異化し揺さぶる「ART」こそが「政治」そのものであり、したがって「政治」は「ART」に他ならない、というゴダールアジテーション作品。
『はなればなれに』を見てしまうと、「政治主義化に伴うゴダールの劣化」にも思えるが、「ゴダールにしか可能でない劣化」であるのも確か。それにしてもフランスは、「訳の分からないものを訳の分からないものとして思考していく」粘り強さに欠けており、すぐにサンボリズムとか脱構築とかにいっちゃうのは、逆に「明晰なもの」や「感覚的に確かなもの」への信頼の表れであるように思われる。良くも悪くもデカルトの国。